平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

日本が抱える問題が表面化・顕在化した件

一週間前の天気予報に裏切られ、こんな爽やかな朝を迎えられるとは思いませんでした。

 

お陰様で、本日の定期洗車は来週に持ち越しです。

 

とは言っても悲しんでばかりもいられないので、できることからやっていこうと思います。

 

 

という事でブログ更新ですが、最近のニュースで僕が特に気になる話題と言えば

①高齢者ドライバーによる重大交通事故

②8050問題

③引きこもりの長期化&高齢化

 

ですね。

 

この問題が抱える最重要課題が、『他人の命を奪う』ことがあるという点ではないでしょうか。

 

①の高齢者ドライバーの件については、免許更新の際に体力・運動能力テストが必要なレベルにきていると思います。

どれだけ車輌本体の安全性能が向上しても、自動運転システムが死亡事故ゼロを100%達成するまでは、少なからず人間の運転技術や能力が問われる事でしょう。

その間の安全をできるだけ担保する為には、自主返納ではなく‟強制返納”ができる仕組みが必要なのかも知れません。

でもここには、交通の利便性という社会インフラが絡む課題も山積されている為、反発も大きいでしょうし、自動車メーカーからしても若者の自動車離れが進む今、高齢ドライバーは有力な顧客である事は間違いありません。

 

しかし、‟人の命”を犠牲にしなければいけない‟利益”は、本当に利益と呼べるのでしょうか。

もう一度、‟命”に向き合う事が求められると思います。

 

 

そして②の8050問題。

最近のニュースではアラフォークライシス問題も含め

 

sic.hatenablog.com

 過去記事にもありますが、僕より少し上の年代の方々とその両親世代が抱える課題を8050問題と総称するようです。

これは、③の引きこもりと合わせて考える必要があろうかと思います。

 

8050とは、親の世代が80代で子の世代が50代を指しますが、現在の80代の方々は日本の高度成長期を日本のど真ん中で支えてこられた方々で、『今の日本は自分たちが作った』と自負されてる方も多いと聞きます。

 

しかし、その子供世代と言えば、高度成長による恩恵をど真ん中で受けたきた世代でバブルも経験しています。

この経済成長のギャップが生まれた8050問題の本質は、世代間の認識や価値観、人生観などへのギャップではないでしょうか。

 

お見合い結婚が珍しくなかった80代。

恋愛結婚が主流になった50代。

 

中卒が当たり前だった80代。

大卒が主流になった50代。

 

和食が中心の80代。

マックがオシャレになった50代。

 

結婚して子供をもうけ、定年まで勤めあげる事が当たり前だった80代。

結婚しない事や転職でのスキルアップが選択肢に上がってきた50代。

 

様々な価値観の変遷がありつつ、親心として子に求めるものが変わらなかった事で、そのギャップが浮き彫りになったのではないでしょうか。

子供には早く結婚して家を出て欲しいと思う親と、人と上手くコミュニケーションが取れず、結婚自体が想定外になっている子供が同じ屋根の下に暮らせば、必ず揉める原因になります。

 

この事を悲観した親が、所謂‟更生施設”に強制的に子供を預けるという事も話題になりました。

そこで問題になったのが、‟更生”を理由にした暴力的な連れ出しや、根拠のない見積もりに準じた高額な月額料です。

 

藁をもすがる思いで更生福祉施設に連絡した事は想像に難くありません。

 

しっかりとしたカリキュラムが組まれた施設であれば更生も望めるかも知れませんが、そもそも更生とは

kotobank.jp

‟生きかえる事”と定義されており、元々は何の問題も無かった事が前提です。

しかし、引き籠ってしまった人たちは、元々は何の問題も無かったのでしょうか?

 

今でこそ発達障害の定義も広くなり、人とコミュニケーションが苦手という場合にも福祉サービスを受ける事が可能となりましたが、以前はそうではありません。

少しずつですが、世の中が成熟するなかで定義が変わり、その事により認識が変わっていきます。

50代以上で引き籠っている人々にとって、今必要なのは人に会う事、専門家に会う事ではないでしょうか。

 

適性な支援やカウンセリングを実施する事で、もしかすると何かしらの動きがでるかもしれません。

 

高齢者ドライバーの問題も8050問題も、長期引きこもり問題も、他人事と捉えず自分の事として考える必要があると思います。