平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

『80%の法則』という仮説を立ててみた。

今夜は携帯からの更新なので、読みにくい部分が出てくるかも知れませんが悪しからず。

 

 

さてさて、会社を経営していると、様々な判断をしていかなければなりませんが、これに対して一貫性を持たせるのはなかなか至難の業でして、その時の経営状況や景気になどを見極めて、その都度判断する必要があります。

 

ただ、その中で『経営哲学』というものはとても大切だと思いますし、僕も指標とする言葉を持っています。

 

それは、元スバル自動車社長の吉永さんの言葉でして、それは『足りない位が丁度良い』というものです。

 

顧客から『買いたい!』というニーズがあれば、経営者としては『バンバン作って売れる時に売っとけ!!』となるのが常ですが、吉永さんは『すみませんが、急いで作るので2年待ってください!!』という経営を貫かれました。

その結果、北米市場で驚異的な販売台数を叩き出すのですが、何より凄いのはその“利益率の高さ”にあります。

 

勿論、経済アナリストを名乗る一部の人からは、この経営方針を叩かれました。

 

しかし、その結果としては、スバルというブランドの価値が向上しましたし、値引きをしなくてもインセンティブを多く支払わなくても売れる仕組みが出来上がったのです。

 

その中で負の部分を言うと、『売れるので新型車が出にくい』という結果を生んでしまいました。

勿論、妥協をしない車作りも、新車が出ない要因の一つでもあります。

 

そうなると、困るのは販売店です。

 

『次のモデルが出たら買いたい』という顧客を、何年も待たせるのは至難の技です。

 

売店と顧客の両方が、痺れを切らす寸前で新型車を投入できた事で、更なる飛躍を遂げた訳ですが、結果的には『良い車を作れば売れる』を体現した、素晴らしい事例だと思っています。

 

 

その哲学を常に念頭に置きながら、日々の経営に取り組んでいますが、時折、概念や理念では無く『具体的な判断基準』が欲しいと思う事があります。

 

それは、『足りない位が丁度良い』の『足りない位』にあたる具体的な数値です。

 

事業を拡大する。または縮小する。

新たなビジネスに挑戦する。または業種転換する。など、大きな判断になればなるほど、その判断を誤りたくないもの。

 

そんな時に、『数字がここに達したらこうしよう』という、具体的な数値があれば、もっと正確な判断が可能になるのではと。

 

そこで考えた仮説が、「80%の法則」です。

 

これには、先ず『100%を知っていなければいけない』という前提が付きますが、その100%を知る事も経営者としては大事な情報だと思います。

 

では、SICの100%とは何でしょうか?

 

ウチの会社で言えば、1日の利用者数が20人に達する事が、それに当たります。

 

そこで言えば、ウチはまだ50%足らずであり、今の倍は売り上げる事が出来ます。

 

例えば、それがネジを作る会社であれば、現在の設備と人員で製造出来る最大個数が100%となりますし、飲食店であれば1日に回せる客席数と回転数を掛けた数が100%となります。

 

しかし、本当の意味での100%の稼働率というのは、どの業界でも無理な数字だと僕は思います。

例え、インバウンド需要で観光バブルが来ていて、連日満室となったとしても、100%のお客が一番高い料金設定で宿泊している訳ではありませんし、仲介業者やクレジット会社への手数料の支払いが発生したりします。

 

しかし、100%で無くてもほぼ満室状態が続けば『事業拡大する為に、新しいホテルを作ろう!』とはなる筈です。

 

そんな時に出てくるのが、80%の法則です。

 

要するに、『100%に限りなく近づいたから新たに作ろう』では、既に遅いという仮説です。

 

事業拡大するのか、現状維持するのか、その判断は売り上げが80%に達した時点で行うのが良いのではないかと。

 

逆もしかり。

 

生産能力が1日10,000本あるネジ製造会社が、今まで9,500本を製造していたとします。

生産率が95%もあれば、それなりの利益は確保していたはずです。

 

しかし、景気が悪くなり、注文が8,000本を割り込んだら、そんな時には次の手を考える必要があるというものです。

 

SICは、まだ50%もの余力がありながら、大分への出店を決めました。

これを、上記の法則に当てはめれば完全に時期尚早です。

 

しかし、SICにはもう一つ、売り上げを伸ばすのに必要な要素が欠如しているのです。

 

それが、『定員を賄うだけの物理的スペースが足りない』という課題です。

 

最大で、1日14人もの利用者さんが訪れて、そこに職員が5〜6人が常駐するとなると、お弁当を食べるスペースすら足らなくなってしまうという、問題が発生しているのです。

 

これでは『足りない位が丁度良い』なんて、悠長な事は言ってられません。

 

特に、知的と精神の方々の距離感には、最大の配慮が必要です。

 

そこで、別府市内でのサテライトを検討しましたが、大分市に舵を切る要素がいくつか出てきたのです。

一つ目が、別府では認知度が高まってきているにも関わらず、新規利用者さんの紹介が激減している。

二つ目が、洗車のニーズが台数に比例する形で大分市にある。

三つ目が、マンション清掃の依頼が、大分で増えているのと同時に、範囲が広がっている。

ということです。

 

80%まで売り上げを引き上げる為には、利用者さんが安心して過ごせるスペースを確保すると共に、利用者さんの人数に応じた事業費の確保が絶対に欠かせませんし、高い工賃を支払う為には、収益性の高い事業を確保する必要が法律的にもあるからです。

 

 

では、なぜ70%でもなければ、90%でも無いのでしょうか?

 

 

それは、

 

 

正直分かりません。

 

 

ただ、売り上げは現状から10%減るだけで、会社にとってはかなりの打撃になります。

 

そして、10%でも増えると、人員や設備などの新たな投資を検討しなくてはならない水準になる事も十分に考えられます。

 

なので、その振り幅を考えると、どちらにも余裕があるのが80%という事になる様な気がしてます。

 

 

80%の法則。

 

この仮説がどこまで通用するか、ちょっと試してみようと思います。

 

 

声掛けは心掛け

天気も良くなり、洗車が忙しくなってきました。

 

パチンコ店との共同イベントも好評で、先日は一日で9台ものご注文を頂きました。

 

ただ、以前からの課題は仕事量のバラツキです。

 

忙しい日は、利用者さんを総動員しても足りない位なのですが、人数が多い日に限って仕事が少なかったりもします。

 

今は大分出店に向けての準備もコツコツ進めていますが、その辺の課題とはこれからも向き合う事になりそうです。

 

 

さてさて、今日何だか気持ちがモヤモヤしてます。

 

creal.jp

少額投資ができるクリアルでも順調に配当を得ていますし、毎日利用者さんも順調に通所を続けてくれているので、売上も順調に推移しています。

 

そして、年度がリセットされたので、削られていた加算も元に戻りますし、今まで取れていなかった加算を新たに取れる様にもなりました。

 

それでも何だか続くこのモヤモヤ。。

 

 

人間の貪欲さを実感します。

 

 

未来に向けて、何かしら打てる手は打ちたいところですが、それが何だかハッキリしない事にモヤモヤしているのかも知れません。

 

気持ちを切り替えていきたいと思います。

 

 

 

さてそんな中、子育てについて考える機会がありました。

 

経営も子育ても『これ!!』と言った答えがある訳ではありませんが、子供たちがサッカーに通い始めてというもの、チームメイトの保護者の方々からは

『男の子が四人も居るのに、どうしてみんな素直で良い子ばかりなんですか?』

『喧嘩とかしないんですか?』

『パパは怒ったりしないんですか?』と、有難い事にまぁまぁ頻繁に聞かれます。

 

 

さっきも書きましたが、『答えが分からないので答えようが無い』というのが本心なので、いつも答えは『何ででしょうね(笑)』となります。

 

ただ、長男が小さい頃からしっかり伝えてきた事が二つあります。

一つ目が、嘘をつかない事。

二つ目が、暴力はどんな理由があっても絶対に駄目。

です。

 

嘘は、人間関係がこじれる最大の原因の一つと思っています。

今後、彼らが大人になった時には、僕が所有する土地などの分与が発生する事も考えられます。

 

そんな時、利己的な発想があれば嘘をついてでも自分の物にしようとしますよね。

 

そんな発想を根本的に生まない為にも、子供の頃から嘘をつかない事を癖づける必要があると考えています。

 

それと暴力です。

 

男の子四人ともなると、その体力たるや恐ろしいものがあります。

 

特に妻への暴力を阻止する為にも、『絶対に暴力に訴えてはダメだ』という事を伝えています。

 

そこで言えば、過去に暴力を振るった子供に対しては、『家には置いておけない』と、外に出した事もあります。

 

その位、暴力に対しては強い態度で臨んでいます。

 

 

そして、子供への声掛けの時に心掛けている事があって、それが

①『歯を磨きなさい』じゃなくて、『磨かないと虫歯になるけど、歯医者行く?』という風に、その先困るの君じゃないの?と促す。

②『宿題をしなさい』じゃなくて、『宿題出さなくて、どうやって乗り切ってるの?』と、宿題をしなかったその先を本人に想像させる。

③ゲームの取り合いが始まったら、『パパはゲームしないから、自分たちで時間を決めたら?』と伝えてお兄ちゃんに時間管理をさせる。

④食事は何が食べたいかを、予め本人たちに決めさせる。 割れた時は多数決とし、少数派の意見は後日取り入れる。 三日前に食べたマックの再選に関しては、最低二週間は空けるというルールも決めておく。

 

と言うように、基本的には本人たちに意思決定させる様な声掛けを心掛けています。

 

 

これは全員そうでしたが、3歳を過ぎた辺りから ”いやいや期” が到来しますよね。

 

その時に、着替えで苦戦する妻を見てふと見て思ったのが、『本人に決めさせたら?』という事でした。

 

『こっちとこっち、どっちが良い?』と聞いてみて、本人が選ぶとあら不思議。

自分で率先して着替え始めたのです。

 

それからというもの、殆ど全ての事に関して、自分で選択するように促すようにしています。

 

長男と次男には、テストとお手伝いでお小遣いを上げています。

 

なので、『サッカーシューズが欲しい』となれば、『半分はパパが出してやる』とし、本人の財布からお金が無くなる事で、その ”価値” を考えさせています。

先日は、長男と次男が自分の使ったビブスを丁寧に畳んでいたらしく、その日の当番の保護者さんから、『先日も、長男君は自分のユニフォームを綺麗に畳んでバッグに仕舞ってたんですけど、どうやって教えてるんですか?』と聞かれました。

 

僕は、自分のお小遣いからシューズを買わせている話に触れつつ、『自分で買った道具を大切にしてる延長ではないか?』と話しました。

 

 

それと、長男は小学5年生ですが、今でも寝る前には抱っこして、

『君は大切だよ』

『大好きだよ』

『また明日も頑張ろうね』

と、言葉で伝えています。

 

毎日忙しいのはそうですが、その声掛けだけは心から伝えたいと感じています。

 

今日も一日長いですけど、頑張っていきたいと思います。

 

 

人気?YouTuberゆたぼんパパの子育て論が反面教師過ぎて勉強になる

最近のYouTubeって、YouTuber同士の動画に反論しあったり、文句言い合う事がネタになるケースが多くて、仲が良くても悪くても飯の種になるという、不思議なスタイルが確立されていますよね。

 

そんな中、最近良く目にするニュースの一つに「元小学生YouTuberゆたぼん」君が、『中学校には通わない』と宣言したというものがあります。

 

その内容に対しては元2ちゃんねるの管理人である#ひろゆき氏や、同じYouTuberの#シバターさんが反応しています。

 

お互いの動画に対する反論に次ぐ反論、という展開になっている様ですが、ニュースを読む限りはひろゆき氏やシバターさんが正論というか、子供の教育にとっては正しい考え方ではないかと思います。

 

その理由として、彼がこのまま成長したとしても、それは身体だけの成長であり、心の成長が追いつかないと断言出来るからです。

 

このまま行けば、彼には一般就職という道が既に閉ざされつつあって、社長か個人事業主になるしか道が無くなると思うので、その理由を書いてみたいと思います。

 

【親として与えないといけないのは、トライとエラーをする為の、より多くのチャンス】

 

ゆたぼん君は、まだ中学校に行って無いのに、『行く意味が分からない』『制服買うお金が勿体ない』『勉強は学校じゃ無くても出来る』『校則の意味が分からない』という様な趣旨の話をしてるそうですが、この考え方を“良し”とするゆたぼんパパの子育て論が、反面教師過ぎるのです。

 

面接官『ゆたぼん君、弊社を希望した理由は?』

ゆたぼん『そんなの答える意味が分からない』

面『…。では、君が尊敬する人は?』

ゆ『へずまりゅう』

面『……。では、得意な事は?』

ゆ『YouTube

 

というのは冗談として、やっても無い、見ても無い、経験しても無い事を、『それって意味ある?』って聞き返してしまう子供を作り上げてしまう教育論は、反面教師としてとても勉強になります。

 

人って、痛みから学ぶ生き物です。

 

小学校では最上級生でも、中学に入って直ぐは一番下っ端になります。

高校も同様ですが、横と上下の関係性を継続的に経験出来るのは、社会に出る前の人間にとってはとても大切な経験の一つです。

 

ゆたぼん君は、『学校に行かなくても、オンラインからリアルの友達を作る事は可能。』という趣旨の話をしていました。

確かに、今はマッチングアプリなども充実しているので、その可能性は十分にありますね。

 

でも、思春期にリアルで異性と接し、好意を持ったり持たれたり、好きな人の姿を目で追ったり追われたりする様な経験は、リアルでしか体験出来ないのではないでしょうか?

 

オンラインでも、それに取って代わる様な経験は出来るかも知れません。

 

でも、リアルでの経験は、オンラインでは絶対に出来ないのです。

 

その経験を積める可能性をゼロにしていまう教育論に、僕は強い疑問が残ります。

 

『やってみた結論として、次はこうする』

 

が限りなく少なくなるのは、人生にとっては限りなくマイナスなのでは?と思います、

 

と言いつつ、僕はゆたぼん君の動画を見るという経験を省いてます。

 

その理由は、僕の人生の限られた“時間”という大切な“資産”を“消費”にしかならなさそうな動画に“浪費”したく無いから。

 

僕は毎日、時間を“投資”して、“情報”という“資産”を増やしています。

 

その資産は、やがて必ず“収入”や“財産”として返ってきます。

 

もう一度言いますが、『やって無い事は言えない』というのが現実です。

 

『社長、なんでもっとこうしないんですかー?』

『はぁ、こうすりゃもっと効率良く稼げるのに』

 

こういう人の共通点は、

①実際には社長をやった事がない

②営業成績でトップを取った事がない

というのが世の常です。

 

ゆたぼん君も、親の教育でこの道に入ってるのが可哀想。

 

『行ってみたけど、どうしても学校がキツい』

って相談を受けてからが、親の役割だと僕は思います。

 

動画の再生回数だけが人生の反省点では、余りにも虚しいものになるのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

”大人の定義” って何なんでしょうね

前回の更新から随分と時間が空いてしまいました。

 

理由はシンプルにネタが無かった事と、ネタを見つけても書くのが面倒だった事です。

 

今日は久しぶりに時間もあるし、週末にスポーツして気分もリフレッシュできたので更新しようと思います。

 

 

世間が言うところの大人って?

 

さて、ここ最近は特に、『大人ってなんなん?』という質問を僕から投げかける事が頻繁にありました。

 

それは、利用者さんも含めた僕の周辺の人たちが、

『大人として』とか

『大人げなかった』とか

”大人” というキーワードを頻繁に持ち出して、悩む傾向にあったからです。

 

何故、その人たちは ”大人” になる事にこだわっているのでしょうか?

 

そもそも、”大人” ってどんな人を指すのでしょうか?

 

20歳を超えて成人した人?

 

身長が伸びなくなった人?

 

学問に優れ、常識を備えた人?

 

心身ともに成熟した人?

 

感情をコントロールできる人?

 

至極真っ当な事をいう人?

 

自分で経済力を身に着けて自立してる人?

 

 

僕には分かりません。

 

だって、どれも基準が曖昧だし、根拠が無いと思うんです。

 

 

”保護者” という ”大人”

 

先日、四男坊の小学校入学式に参加してきました。

 

スーツや着物で着飾った ”保護者” の面々の中に、僕一人だけ仕事着という服装で参加しましたが、その時に何か違和感を感じました。

 

それは、”自分が仕事着である” 事では無く、着飾っている ”保護者” にです。

 

その時の僕は、 ”保護者として” という目に見えない縛りを感じたのです。

 

もちろん、TPOをわきまえる必要はあると思ってはいます。

 整理しておきたいTPOの意味合い

近年、ビジネスシーンでよく使われる“TPO”という言葉の意味合いについてご存知でしょうか?「TPOを考えたファッション」などと使われておりますが、その意味をくわしく説明できない方いるはずです。まずはTPOの基本的な意味について説明します。

【TPOの頭文字の意味】

  • T:time…時間
  • P:place…場所
  • O:occasion…場合(opportunity…機会)

 

上記の通り、TPOとは「時間と場所、場合(機会)に合わせる」という和製英語です。

www.humantrust.co.jp

 

このTPOというのも、ちゃんと使いこなせていないとビジネスシーンでも自分が恥ずかしい思いをしますし、相手に迷惑をかけることもあります。(ここで言う恥ずかしい思いとは、自分の同行者や相手に迷惑を掛けた事に返ります)

でも、入学式では仕事着で行っても、恥ずかしい思いもしなければ、誰かに迷惑をかける訳でもありません。

 

でも、僕を除く全ての保護者はスーツか着物を着用していました。

 

そんな周囲を見渡して感じた事は、『自分って大人になっていない(常識が欠如している)と見られたのかな?』という事です。

 

でも、その上で改めて感じた事が『世間でいう ”大人” になっていなくても、子供は育てられるし、お金も稼げるんだな』と。

 

”大人にならなきゃ子育てなんてできないよ”

 

”子供が子供を育てているようなもんだ”

 

”ちゃんとした大人になって、自立していかないと”

 

っていう呪いに縛られてるのかなーと。

 

今まではスーツを着る仕事もしていたので、上の子二人の入学式では特に感じていませんでしたが、仕事着になった三男坊の入学式から感じていた違和感は、どうやらこれでした。

 

 

40代に突入して思う事

確かに、10歳の頃とは比べ物にならない程の経験を積んでいますし、30歳の頃の自分より今の方が経済的にもゆとりがあります。

 

でも、それって ”=(イコール)大人になった” とは違う気がするんですよね。

 

逆コナンとでも言いましょうか。

 

身体は大人! 心は子供!

 

という感じです。

 

頭脳に関しては才能(伸ばす努力をすればどれだけでも伸びる)と思っているので、大人も子供も無いと思います。

 

”大人としてどうなんだ?” とか

 

”大人なんだからちゃんとしなきゃ” とか、

 

そういう有りもしない概念を有ると思いこみ、縛られるのは嫌だなーと。

 

僕は ”常識” って言葉が嫌いなんですけど、それには理由があって、それはそもそも『何が何だか得たいが知れないものだから』です。

 

”大人” ”常識” というワードに囚われると、何だか生きづらく感じてしまいます。

 

 

僕が目標にしている生き方は、

①他人の不幸の上に自分の幸福を築かない

②人様のお役に立つ事で自分の生活が成り立つ

③子供にもそれを伝える

です。

 

他人に嫌な思いをさせない、傷つけない様に心掛け、周囲の人の手を借りながらも自分から手を差し伸べ、人類にとって役に立つ事で生計を立てる。 

それができる人が、世間でいう所の ”大人” に当たるのではと思っています。

子供が居る人は、子供にもその事を伝える事が大切ですし、居ない人は自分がそうある事と、人にも勧める事が大切だと思います。

 

現代って、無駄に崇高な人間を求めたり、悪と表裏一体の正義を振りかざしたり、刹那的な幸福を求めたりしている気がしてなりません。

 

『完璧な人間なんて居ない』って口では言ってるけど、実は求めてるみたいな矛盾。

 

こういうのって、やっぱり教育から変わっていかなきゃいけないんだなーって思います。

 

 

”常識が無い” と叩かれるママタレ芸能人はどうなの?

 

芸能人のニュースを見ていると、ママタレさんが叩かれてる記事を見ますが、個人的な感想としては叩く方も叩かれる側もどっちもどっちという感じがしています。

 

 例えば、ある女性タレントさんが子供の顔つき写真をSNSでアップしたとします。

フォロワーからの反応の中には「子供が可愛い」や、「ちゃんとママやってますね」などの好意的なコメントが寄せられる事になります。

 

しかし、その時間帯が深夜だった場合はどうでしょう。

「こんな時間まで子供を連れ回すとか非常識」や、「子供の顔をSNSに上げちゃだめでしょ」という様なアンチコメントや注意コメントが寄せられる事になります。

 

これは、大人とされてる人間に対する、親としての管理責任や教育上の責任を問う為のコメントでしょうが、投稿した本人に悪気が無いケースが殆どです。

 

では、ここで考えなければいけない論点とは何かを、僕なりに考えてみます。

 

批判的なコメントを要約すると、

①子供を深夜まで連れ回すのは非常識

②子供の顔をSNSに晒すのはNG

です。

 

そもそも、こんな投稿をしなければ良い話ですが、やっちゃう人からすれば何が悪いのかが分かっていないので投稿しちゃうんですが、先述した三つの項目に当てはめてみると、本質が見えてくるのではないでしょうか?

 

①他人の不幸の上に自分の幸福を築かない

②人様のお役に立つ事で自分の生活が成り立つ

③子供にもそれを伝える

 

①に関してですが、お店が子供の入店を禁止していなければ良いのかも分かりませんが、子供が成長する睡眠時間が削られているという視点と、そのSNSを見た人が不快な思いをしているという視点からすれば、先ずは投稿を控えるべきでしょうし、子供の事を考えるなら早めの帰宅をするべきです。

②に関しては、お金を使う事でお店の人には喜ばれていますし、それをSNSに上げる事で自分も収入に繋がっているのであれば、一見すると満たしている気もしますが、そういう事ではないんです。

自分の ”仕事” が誰かの役に立っている事が重要で、批判の対象となる投稿に店が使われたとなれば、役に立つどころか「お店も注意しろよ」と矛先が変わる可能性すらありますよね。

 

そして③です。

僕は、子供に尊敬して貰える稼ぎ方をしたいと考えています。

そして、もし息子たちが結婚し、子供を持つ事になれば、同じように自分の子供に示して貰いたいと。

 

僕が子供の顔を全面的にSNSに出さないのには理由があって、それは、息子が将来的にSNSを嫌って利用しない可能性があるからです。

自分の意思で ”利用しない” という判断をした時に、既に自分の顔が出回っているってどんな気持ちになるでしょうか?

 

確かに、自分の子供ではありますが、いずれは自分で判断して生きて行かなければなりません。

その時に、親が昔やったことが残っていては、申し訳ないと。

 

いずれにせよ、大人って定義はとても難しいと思います。

 

ただ、自分でしっかり生きていけるかどうか。

 

息子たちにも、その力だけは養える様に、今はしっかり育てたいと思います。

 

ステークホルダー(利害関係者)への情報開示

SICは12月決算でして、このほど第3期の決算書が出来上がってきました。

 

結果的には、営業利益約2,900,000円黒字という結果を出す事ができて、先ずはほっとしています。

 

そして、昨年度当初に立てた『売上前年比150%増』という目標も達成し、今期は『前年比130%増』を目標にしていきます。

 

 

合同会社の場合、上場企業の様な情報開示義務というものは発生しませんが、その方法は定款に定める必要があるため、弊社は官報にて開示される事になっています。

 

官報への掲載がいつになるのかは知りませんが、この時期には社長として、ステークホルダーへの情報開示が重要な仕事の一つになります。

 

社員さんにもこの情報は開示していますが、今日行われる金融機関への説明では、

①一昨年度の状況と、昨年度の目標

②昨年度の目標達成度合いと、その理由の説明

③今年度の目標と、必達の為の戦略の説明

④戦略を実行する為の戦術と、その実効性の説明

 

これを、いかに正確に行えるかが、経営者としての手腕が問われる場面の一つだと思います。(今、決算書を読み込んでイメトレしてます。。)

 

赤字であれば尚更の事、経営再建や黒字化へのプロセスを説明する必要性がある事は容易に想像できますが、逆にどんなに売上が上がっていて、どんなに利益が出ていても、その根拠を経営者自らが分析し、説明出来ていなければ何の意味も無いということです。

 

”その目標に向かってどんな戦略を立て、どんな戦術を用いたのか。”

”その戦略と戦術はどの程度遂行され、その結果どの様な成果が得られたのか。”

 

根拠無き売上の増加は、かえって金融機関からの信頼を失いかねない事を自覚する必要があるのです。

 

『黒字だから良かった』

 

なんて報告では、ステークホルダーは納得しません。

 

 

先ずは3年後の目標を用いて、そのプロセスとして『今年度で達成すべき目標』を掲げます。

 

そして、その成長過程に必要な ”資金” の融通について、この段階からある程度の打診をしておくというのが、社長としての重要な仕事なのです。

 

 

大風呂敷を広げる必要は無いと思います。

 

ただ、『企業は1円でも成長している事が重要』です。

 

『世の中が進んでいる以上、停滞は後退しているのと同じである』という言葉を聞いた事があります。

 

世の中と同じペースであれば、僅かながらにでも成長できますが、そのペースだといつ置いてきぼりになるか分かりません。

 

今年も ”もう一歩先” を目指して進んで行きたいと思います。

報酬単価が根拠不明で謎が多すぎる

僕には、毎日必ず行う作業があって、それは一日の利用者さんをカウントするというものです。

 

その表は自作なのですが、その表から読み取れる事項はというと

①利用者さんの延べ人数

②個別支援計画に則った個人の利用日数の上限

③前月をベースとした当月の利用日数予測

④当月の利用日数実績

⑤前月の平均報酬単価をベースにした売上予想

⑥前月の平均報酬単価をベースにした売上実績の予想値

⑦実績報告書(請求書)をベースにした売上実績

⑧一日の平均利用人数

⑨当月の延べ利用人数

⑩売上の前月対比

が分かります。

 

何故この様なフォーマットを自作したかというと、題名にもある通り、報酬単価の設定は根拠を欠いていて謎が多く、先読みする為には細かく実態を把握する必要があったからです。

 

謎① 基本報酬のベースが、何故か月額平均工賃で決められるという謎。

この制度は、『より高い工賃を支払っている事業所の基本報酬を高く設定する為』という意味合いである事は間違い無さそうです。

全国の月額平均工賃が18,000円という実態を打開する為には、各事業所の努力によって工賃を引き上げる必要があります。 その為のニンジンとして、事業所の報酬に直撃するような設定になっているのは分かりますが、何故か ”月額平均” なんです。

週に1日の人も、午前中だけの人もいます。

この方々も含めた月額平均になれば、必然的に下がりますよね?

これは、間違いなく ”時給平均” でなければ意味が無いと思います。 極論で言うと、事業所は毎日通所してくれる人しか受け入れなくなりますよ。

 

 

謎② 施設外手当が年間180日までしか請求できない

施設外就労をしてもらうと、一日あたり200円の加算が貰えるのですが、それには『一人当たり年間180日まで』という縛りがあります。

リセットは毎年4月ですが、ウチの場合は作業のその殆どが施設外なので、夏を過ぎる頃には加算が無くなります。

1日10人の利用があった場合、20日で計算しても月に40,000円の加算になります。

しかし、この縛りのせいで秋口には加算が取れず。。

そうなると、4月~10月頃までの平均単価と11月以降の平均単価がゴロっと変わるのです。

施設内作業で平均工賃を上げられる様な、生産性の高い作業は皆無であり、高い工賃を払おうとすればするほど施設外が増えます。

しかし、その努力をしても、年度の途中になれば ”180日の壁” にぶち当たるのです。

 

 

謎③ 一日当たりの利用報酬が、放課後等デイサービスが約10,000円なのに対し、就労系サービスが8,000円の謎

僕は、過去に放課後等デイサービス事業を約3年間運営した経験があります。

確かに、長期休暇に入れば預かる時間も長くなりますし、知的も精神も重身もお預かりしますので、一度喧嘩が始まると収拾が付かなくなることもあるほど大変です。

そして、各月のイベントや、日々のカリキュラムなど、その子の特性に合った支援を行おうとすればするほどお金が掛かります。

しかし、それでも2,000円の開きにはちょっと納得がいきませんね。

放課後等デイサービスの報酬単価が少し高いのもありますが、就労系が余りにも安すぎるというのが実感です。

 

事業収入を生み出すまでの営業もそうですが、品質を確保する為の社員教育など、指導員としての能力と作業員としての能力を併せ持たないといけないという観点から見ても、単価が余りにも安すぎると感じています。

 

 

謎④ そもそも根拠不明なのはなぜ?の謎

色々と書いてきましたが、要するに根拠不明な点が数多くあるんです。

①なぜ施設外手当200円を設定しているのか?

②なぜ180日で切る必要があるのか?

③なぜ月額平均なのか

 

他のももっと、 ”なぜ?” が存在します。

 

加算を設定している根拠に関しては、『〇〇という観点から』などと書かれている事もありますが、その観点にも ”なぜ?” が付く場合もあります。

 

 

福祉系の事業は、そもそもキャッシュフローが悪い事業となっています。

 

そして、利用者さん一人の増減で一喜一憂せざるを得ないほど、経営に直撃します。

 

そんなリスクを常に抱えながらやっている事は、あまり理解して貰えません。

 

今月も、社会保険料の請求書が来ていますが、僕と社員5人分合わせて250,000円です。

社員がもう一人雇える金額です。

 

前から言っていますが、医療系福祉系サービスに携わる人は ”準公務員扱い” とし、国と地方自治体から直接給料を支払うべきです。
そうやって、従事する人の地位を高めると同時に、身分保障を行うべきです。

人数に関しては、利用者さんの人数によって、雇用数の上限を設定すれば良いだけで、それ以上雇用したい場合は事業所負担でやれば良いだけ。

従業員さんから『お前から給料貰ってねーよ』と言われても、雇用主は会社なので、実質的な指揮監督命令があるので大丈夫。

それよりも、各事業所によって給料面などの処遇が違う事の方が問題で、『どこに行っても給料が同じ』となれば、人気の事業所とそうでない事業所はハッキリしますので、その方が福利厚生や処遇改善という観点からも良いと思います。

 

来月からは、報酬改定が実施されます。

 

ウチにとって、吉となるか凶となるか。。

 

実績ベースで先読みしながら、躓かない経営と強くなる経営を心掛けたいと思います。

 

 

敵は内部にあり!パート2

今朝もメディアを賑わせた、厚労省職員による送迎会の件。

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課長が事実上の更迭で、大臣は2か月分の給料を返納すると。

 

そして、ここぞとばかりに ”追求のネタ” ができたと喜ぶ野党の皆さん。

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『よりによってこんな時に。。』というのが世論だと思います。

 

それは、田村厚労大臣も同じ思いだと思います。

 

 

厚労省の職員も、かなり疲弊しているなでの ”息抜き” もあったかも知れませんね。

 

 

今回の飲み会が、なぜここまで批判の的になるかと言うと、僕の認識では

①感染拡大が収まっていない

②感染力の強い変異株も出ている

③感染拡大すれば、医療崩壊への懸念が強まる

④国民に模範を示すべき立場の人間である

という事になってます。

 

『バレなければ良い』

 

そう、心をよぎったのかも知れません。

 

でも、その代償が更迭ですよね。

 

かなりリスクの高い飲み会だったという事になります。

 

課長さんは、”もしも” の時でも更迭までは想定していなかったのではないでしょうか?

 

 

世間的に、複数人で飲酒をしていても、そのグループがピンポイントで厚労省の職員と見破る事は困難だと思いますが、それができたという事は、誰からかリークされた可能性が高いと感じています。

 

その、誰かとは誰なのか。

 

まさか、このタイミングで昨日の記事を読み返す事になるとは。。

 

これは、内部からのリークを優先的に考えて良いと思います。

 

 

以前、誰かがこんなことをおっしゃっていました。

『コロナの本当の恐ろしさは、人の心の分断を生む事である』と。

 

正にこれだと思います。

 

自粛警察なる人たちも話題になりましたが、自らの正義を主張する手段として、過剰に相手を傷つける事も厭わないケースが目立ちます。

 

厚労省の職員が深夜まで飲食をした』という事の問題の本質って一体なんなのか。

 

もう一回、立ち止まって考える必要がありそうです。