平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

そんなつもりじゃ無いんだけどなー

そんなつもりは無いんですけど、これまで様々な人から『論破される』というクレームを頂きました。

 

先程も言いましたが、全くそんなつもりは無いんです。

 

でも、相手は『論破された』と感じてるなら、きっとそうなんでしょう。

 

 

僕は“ど正論を振りかざそう”とも思っていませんし、“言い負かしてやろう”とも微塵も思っていません。

 

そして、“極論者”とも自分では思っていません。

 

 

では何故、『論破された』と感じてしまうのでしょうか?

 

 

事例を紐解くと、『論破された』と言う人の殆どが『自分が正しいと思っている』事が大前提にある様に思います。

 

 

大抵の場合、話を聞いてると『本来こうあるべきじゃ無いんですか?』や、『こっちは客なんだから、店側の対応はおかしい』という様な“べき論”に縛られてるケースが殆どです。

僕は『世の中って、矛盾だらけだよー』って伝えますが、勿論納得なんてしてくれません。

 

そこで僕は、その世の中の矛盾の具体例を挙げて説明し、『そんなもんなんだから、気にしなくて良いじゃん』って言うんですけど、言われた側は『それが論破なんだ』と。

 

なるほどー。

相容れませんね。

 

分かり合うなんて一生無理でしょう。

 

 

考え方の根本に『まぁ、いいか』『世の中そんなもんだよ』って割り切っちゃってる僕と、

『こうじゃなきゃいけない』『出来てない人がおかしい』と思ってる人とは相容れませんよね。

 

 

それでも、気持ちは分かります。

 

だって僕も、若い時には矛盾に対していちいち腹を立ててましたから。

 

 

今のコロナだってそうです。

 

『会社として、対策してないのはおかしい』と言われたとしましょう。

 

僕の答えは『対策が上手くいってる事例が、世の中に一つでもあるなら教えて欲しい』です。

 

これは、論破でも何でも無くて、純粋な心の声です。

 

だって無いんだもん。対策なんて。

“答え”なんて今は無いんです。

 

出来る事って、会社じゃ無くて個人の行動制限や手洗い消毒じゃないです?

会社は石鹸や消毒液を揃える事しか出来ません。

 

後は、『作業環境などに配慮をする』事は出来るでしょうが、今となれば『いつ、どこで罹患するか分からない』状況では配慮にも限界があります。

要するに、これにも“答え”なんて無いんです。

 

でも、それをいっちゃうと“論破”って言われちゃうんですよねー。

 

そんなつもりじゃ無いんですけどねー。

 

『あなたが思ってる答えは、答えなんかじゃないよ』って言っちゃうのは、論破なんですかね?