平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

勉強出来る天才と、勉強出来ない天才の両方を育成すべき

世の中って、学力が一つの指標ですが、それが余りにも力を持ちすぎてる気がします。

 

稀に、スポーツだけで大学まで進学する人もいますが、それは極一部。

 

ひろゆきさんだって、『ダメな大学は潰した方が良い』って言ってます。

 

でも、その傍らで『大学は出て当然』みたいな事も言ってます。

 

そうなると、『偏差値高い大学しか残さなくて良いから、大学行きたいなら偏差値上げろ』という事ですよね。

 

僕が、義務教育+高校の計12年間で一度も宿題を提出した事が無いのは、過去記事にも書きました。

そして、親父からは『今の時代、大学行った方が就職の幅は広がるし、友達出来るから行けば?』と勧められましたが、受験費用も自分で捻出する事と、学費も奨学金で行く事を条件とされていたので、そもそも勉強が苦手な僕にとっては大学という選択肢が生れる事はそもそもありませんでした。

 

 

ちょっと乱暴な考えですが、毎日宿題をちゃんとやったとして、大学まで行ったとして、息子たちの収入が僕を超える保証になるかと言えば、それは別問題ですよね。

 

でも、親父が言うように、就職に当たっては選択肢が増えるし、取れる資格だって変わってきます。

そこに通わないと出来ない友人だって、人生の宝だと思います。

 

けど、本質的には学歴じゃない所で幸せって決まってるんですよね。

 

 

ただ、一つ言えるのが、勉強をやって来なかった人は偏屈が多い(笑)

 

恐らく、人格を形成する上で大切な10代後半から20代前半に掛けての時間を仕事に費やし、しかも随分と年上の人からあーだこーだ言われ続ける事が原因かと思います。

 

社会に出てしまえば、学歴は関係ないんです。

 

必要なのは、学力では無いかと。

 

ここでいう ”学力” とは、所謂進学に必要な学力では無く、人生を生き抜く為の智慧を継続して ”学ぶ力” だと思います。

 

勉強ができる人は、研究や開発の分野で能力を発揮してもらい、勉強できない人はとことん個性を伸ばす事が大切だと思います。

 

進学に必要な学力が低くても、日常の中から閃(ひらめ)きをもたらす人は沢山います。

 

『学力低いから働け』ではなく、進学に必要な学力が低くても、希望する人には学ぶ機会を与えた方が良いんじゃないかと思います。

 

例えば、高校卒業時に大学に行く学力が無かったとしても、プログラミングを教えるとか、経営を学ばせるとか、それを専門学校とかじゃ無くて4年間みっちり学べる ”プチ大学” があると良いと思います。

 

今の教育制度だと、中学を卒業するころには将来の夢を持ち、そこに向かって大学を定め、大学に向かって高校を選ぶ様な仕組みになっています。

 

なので、途中で進路変更しようものなら、もう一度受験したり、入学費用が掛かったりと、リセットには相当な体力とお金が必要です。

 

大学までを半義務教育にしちゃって、同じレベルの偏差値間の学校であれば好きなように行き来できたら良いと思いますし、働きたい人は働く選択肢を与えたら良いと思います。

 

話は変わりますが、最近では選択的夫婦別姓の議論がありますよね。

 

僕の考えでは、『選択肢を与える』だけで良いと思うんです。

 

『どちらでも良いよ』のスタンスで良いのに、夫婦同姓か別姓かの議論ばかりしてて、空論だと思います。

 

進学したい人は進学させる。働きたい人は働かせる。同性が良い夫婦は同性で良いし、別姓が良い夫婦は別姓にして貰えば良くないです?

 

なんか、そこを国が決めちゃう事によって、人材が育って無いような気がしてます。