平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

小学校入学から高校卒業するまで、一度も宿題を提出した事が無い僕ですけど。

高校を卒業して早22年経ちますが、”宿題” という呪縛に縛られた12年間は正に地獄でしたね。

 

 

と言いつつ、毎日提出を求められつつも、結局の所は色々と理由付けては提出せずに何とかやり過ごしました。

 

学期末毎に学習の遅れを指摘される中、”よくできる” が獲得できる可能性がある科目は国語と社会と体育のみ。

 

ただ、小1から引っ越すまでの3年間剣道をやっていたので、未提出者が受ける辱しめである正座の耐久時間と声の大きさだけは褒められました。

 

宿題出さずに正座をさせられても、ちっとも苦にならなかったのは救いです。

 

夏休みの宿題でも、出したことがあるのは3日分の絵日記と自由研究で作った自作の扇風機のみ。

 

高学年になる頃には、作家さんよろしく読書感想文だけ提出しました。

 

 

そう考えると、子供の頃からなかなか周囲と同じになれない自分が居たと思います。

 

もちろん、罪悪感というか、宿題を提出してる皆を横目に椅子から腰を上げない辛さはありました。

でも、どうしても宿題というか、勉強が嫌いで嫌いで。

 

親からは、『高校だけは出とけ!!』と、それだけは具体的に指示されていたので、中学に進学する頃には ”高校を卒業することだけ” が目標になりました。

 

なので、高校に入学してからというもの、卒業に必要な資格を取得する事と、すれすれでも赤点だけは取らない事に集中しました。

 

得意な教科というものは不思議でして、本当に勉強しなくても80点台は難なく取れました。

 

そうやって、段々と自分にできる事や得意な事だけをやっていく事になります。

 

もちろん、一般社会では通用しません。

 

社会は厳しくて、やりたい事や得意な事だけで給料なんて貰えませんから。

 

でも、苦手な事はやらないというやり方で、今の自分があります。

 

家庭を持ち、家も車も買えて、会社経営もしています。(まだ儲かってはいませんが)

 

自分から発せられる言葉の重みは感じていますので、そんなに軽率な発言をしたりはしませんが、好きな事も言えてます。

 

 

これはもしかしたら、過去に苦しんだからこそ、人の苦しみが分かる部分があるのかもしれません。

苦しんだとは言っても、僕が宿題を提出しないからそうなるんですけど、分かっていてもどうしても苦手だったんです。

 

 

今となっては、今の自分をアスリート的?に捉えてます。

 

勉強できなくったって、誰よりも野球ボールを遠くに飛ばせればプロ野球選手になれる可能性もありますし、誰よりも早く泳げればオリンピック選手になる事だってできます。

 

スポーツなんかできなくたって、勉強さえずば抜けてれば官僚にもなれますし、教授にも博士にもなれます。

 

僕は、勉強もスポーツも中途半端。

 

でも、どちらも必要としない経営者という場所で生きていけてます。

 

何も、世の中にイノベーションを起こせる人は、一流大学を出た人か、一流アスリートに限った事では無いと思います。

 

自分の得意分野で食べていくのは、余程の努力も必要ですが、何より自分を支えて下さる方、応援して下さる方の存在が重要です。

 

今、生きづらさや苦しさがあるのであれば、是非とも視線を少し変えて、自分の良いとこを見つけて欲しいと思います。