平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

“サラリーマン”じゃなくて、”組織人”不適合者でした。

次なる人生の目標が定まった事で、楽しさが倍増してます。

そして、今はそこに向けての整理に追われ始めました。

 

この年齢になると、何かを新たに始めるには、今ある何かを捨てないといけなくなる事もあります。

 

ちょっと前までは、色んな事を同時に出来るという、気力も体力も時間もありましたが、今では100の中に納めないといけないので、始める事のサイズ感が大きければそれなりに大きなモノを捨てなければなりません。

 

そこで、捨てる覚悟をきめたのが、組織人としての自分です。

 

僕自身の特性を考えると、2番目とか3番目がやっぱり苦手なんですよね。

 

誰かを“支える”って言うのがどうしても出来ないんです。

 

そして、周囲のもっともらしい意見に同調するのも苦手です。

 

結局は、自分が納得した事にしか行動できないんです。

 

確かに不便ですよ。

 

陰で悪口言ったりして蹴落とすのが一番楽です。

 

『あいつが悪い』って言ってれば、失敗した時にその人の責任にできますから。

 

そうして、自分は求める地位に登り詰めれば良いんです。

 

でも僕は、周りの『あいつが悪い』『本来ならこうするべきだった』って言う言葉にこそ、常に“何で?”が付き纏うんです。

 

何で?が付き纏う事で行動が止まる人は、組織ではトップ以外に務まりません。

 

何故ならば、組織には常に“何で?”が付き纏うからですよね。

 

人を否定する言葉を聞いた時に、否定されてる人の、その言葉を聞かないとフェアじゃないと思っています。

 

だけど、組織で『あの人の言葉を聞かないとフェアじゃない』なんて言う人いませんよね。

 

だから、僕は組織人として不適合者なんです。

 

組織は、そんなフェアな関係性を求めて無いんです。

 

“アイツがこうしたから、こうなった。”

 

それが嘘か誠かはどうでも良くて、『そうなんだ。あの人ってそんな人なんだね』って鵜呑みに出来ないと、組織の中では生きていけないんです。

 

10年かけて、沢山の事を学ばせて貰いました。

 

でも、その分だけ、自分の人生の時間を消費して、組織にも貢献してきたつもりです。

 

『ありがとう』と発する言葉と同じ力量で、『ありがとう』を言ってもらっても良いと思ってます。

 

でも、そこもフェアじゃないんで。