物事を理解してくると、自分の意見を持つようになります。
時に思いが強すぎて ”譲れない” という思いに発展する事もありますよね。
でもそこで、人の話の腰を折る様な事をしてはいけません。
昨夜のとある例会後。
皆で懇親会に出向き、お腹も膨れた所で二次会に向かいました。
僕は監事という役職を頂いていますが、勿論のこと、僕より在籍期間が長くて無役の先輩もいます。
先輩ではありますが、無役である以上発言の場は限られます。
その上で、僕は組織に対して厳しい事も言わなければいけない立場なので、どうしても根本的な話をしなければいけません。
そして、その ”根本的な話” をする時には、先ずは ”大前提” の話をしないといけませんが大体の方はこの時点で『いや、それはちょっとおかしい!』と言い出します。
その気持ちは分かります。
僕も散々理不尽な思いをしてきましたから。
でも、理不尽な思いをさせてきた先輩と少し違う点で言えば、大前提の次に話す部分が一番大であるということです。
過去の先輩たちは『これはこうなんだから、こうじゃないとダメなんだ!』という話をしたら、話もそこで終わります。
でも僕の場合は、『これはこうなんだから、こうじゃないとダメなんだ!』の後に
『だけど!』
があります。
なのにこの部分を聞かない人があまりに多い(笑)
気持ちは分かりますが、本質を見失ってはいけません。
その『本質を見失ってはいけない』ということが大前提で話を進める事が大事なのに、『本当はこれで良い』とか『それはやりすぎ』という議論を進めがちです。
それはその人のこれまでの経験から来るものでしょうが、経験があればこそ『変えて良い部分と変えてはいけない部分』を思慮深く持ち合わせるべきです。
『何故そこにこの様な文言を入れる様になったのか?』
『ここに書かれてる言葉の意味は何なのか?』
資料一つにしても、それは先輩方が失敗や反省から学んで反映させてる事柄が沢山あります。
そして、我々はそれを引き継いで、その資料を基に事業を進めています。
であるならば、その資料に書いた事の重みを考えましょうよと。
そして、その資料に残す意味を考えましょうよと。
それを考えずに、『いや、それは書く必要ないやろ!』なんて勝手に判断しちゃいけないんです。
今まで書いてきた事は、先ずは書くこと。
そして、書いた資料を見てから『必要か不要か』の議論をみんなでやれば良いんです。
そもそも『書かない!』という選択をするのはダメ。
書いた上で不要と思えば消せばいい。
これがなかなか伝わんないんだよなー。(ぼやき)