平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

学校の宿題はしなくていい

語弊を恐れず書きますね。

 

 

 

ウチでは子供達に『宿題なんてせんで良いよ』とハッキリ伝えてます。

 

 

何故か。

 

 

答えはシンプルで、“宿題やって喜ぶのは誰か?”を考えると、それは担任の先生なんですよね。

 

『何で先生を喜ばす為だけに宿題やんなきゃいけないの?』という事です。

 

 

 

僕からすると、宿題は社会人で言う所の“サービス残業”同然で、これを社員がやって喜ぶのってブラック企業の社長だけなんです。

 

 

 

本来、学校(就業時間)が終わればその後は自由な時間のはず。

 

 

なのに宿題(残業)をしないと成績(業績)が追い付かないと言うのであれば、それは単純に課題が多過ぎるのか、そもそも仕組みが悪いのか、それとも先生(経営者)の腕が悪いかのいずれかしか無いと思っています。

 

 

 

 

僕の経営方針は『労働時間が短くて給料が上がって行くのが良いよね』を掲げています。

 

 

なので、利益率が上がれば職員さんを増やして休みが取れやすい仕組みを作っています。

 

 

 

それでも業績は前年比で120%行ってますし、毎年のペースアップをやりながらも今年度も同じくらいの計画で進んでいます。

 

 

 

休みが増えたのに給料も毎年(微ですが)増えるって良くないです??

 

 

要は、『何で宿題しないといけないの?』に明確な答えを出してくれる先生なんていやしないんです。

 

 

『何で給料増えないの?』

『何で休みが取れないの?』

 

 

答えを持たない経営者は、自らを経営者と名乗るのを辞めて貰いたいとすら思います。

 

 

 

今の世の中って子供でもスマホやPCを扱えます。

 

 

情報量だって僕たちの子供の頃とは比べ物にならない量が得られます。

 

 

でもそこに危険があるからこそ家に帰ってからはその危険性を学ぶ事もできますし、金融や資産形成などのマネーリテラシーを身に付ける事もできるので、その方がよっぽど人としての人生の為になると思っています。

 

 

僕が職員さんに16時を過ぎたら早目の帰宅を促すのも、『自分の好きな事に時間を使いなよ』という意図があるからに他なりません。

 

 

好きな事に時間やお金を使う為に仕事があるんです。

 

 

でも、いくらその為に稼ぐ必要があったとしても、仕事が成長を妨げるものであってはいけないとも思います。

 

 

 

前にも書きましたが、僕は小学1年生から高校卒業まで一度も宿題を提出した事がありません。

 

 

 

いや、正確に言えばやり遂げた宿題を提出した事がありません。

 

 

一応、挑戦はしました。

 

 

 

皆んなやってる宿題をやらない事への罪悪感も感じてました。

 

 

でも、どーーしても嫌いだったんです。

勉強そのものが。

 

 

特に算数、数学、化学、物理、英語に全く興味が無かったんです。

 

 

でも今は経営に必要な数字を扱うのはめっちゃ好きです。

 

 

でもそれは“必要に駆られたから”こそ、自分に必要な分だけ自分で工夫して身に付けました。

 

 

 

 

そして別府は外国人の方も多く住まわれてますが、必要に駆られてコミュニケーションを取る時には頭をフル回転させて何とか乗り切ってます。

 

 

自分が英語を話せないなら、相手の日本語力に頼れば良い。

 

 

 

そこも頼りにならずにコミュニケーションが成立しないのであれば、それは諦めるしか無い。

 

 

 

諦めたく無ければ改めて自分で学べば良いだけの事。

 

 

 

 

なので宿題なんていう“無用な残業”は『全然しなくて良い』と断言出来ます。

 

 

 

したい人だけしたら良い。

 

 

 

したい人にとっては学びのチャンスなので、やりたい人はやったら良いんです。

 

 

 

それを“学校の先生”という立場の人が強要なんかしちゃダメなんです。

 

 

 

放課後位は本人のやりたい様にやらせましょうよ。

 

 

 

宿題=その後の人生の豊かさ

 

 

に直結しない事は既に気付いてるはずなんですけどね。