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「議論より実践」 通知表を無くした小学校の挑戦

神奈川県にある公立の小学校で、学期末に配布される「通知表」を廃止した小学校が有ると、ニュースになっていました。

news.yahoo.co.jp

 

この記事に興味を持ったのは、『通知表って辞めても良いんだ!!』っていう驚きからです。

 

子供の頃、当たり前の様に受取っていましたし、今も子供たちの通知表を当たり前の様に受取っています。

 

受取る立場が変わった今でも、僕自身が通知表の存在に疑問を抱いていたので、この記事は本当に衝撃的でした。

 

自分を評価されてる時も、「良くできる」「ふつう」「もう少し」みたいな評価をされていましたが、「もう少し」って『あとどのくらい足らないのか?』がハッキリしませんし、自分自身で頑張って取り組んだ教科でも「ふつう」を付けれた時には『あんだけ頑張ったのに「ふつう」ってなんやねん!!』って気持ちになってました。

 

実際に、自分の子供が貰う様になってきましたが、中身を見て丸の数を数えても彼らの学校での様子は全く伝わってきません。

 

むしろ、先生からのコメントだけで良いのですが、その欄は限られています。

 

 

四男坊が1年生の一学期終了時に貰ってきた通知表には、先生からこんなコメントがありました。

『四男坊君はいつも元気いっぱいで、休み時間になると一目散に校庭に駆け出します。休み時間が終わり、教室に戻って来た四男坊はいつも汗だくで、見ているこちらが清々しい気持ちになります。』

 

という内容だったのですが、僕はこのコメントを読んでほっこり笑顔になりました。

 

宿題をしない事を咎める事も無く、授業中の態度を書く訳でも無く、先生ご自身が四男坊と触れ合う中で『清々しい!!』と感じられた情景を書いて下さった事に嬉しくなりました。

 

僕は、宿題しなさいとか、習い事をしなさいなどは一切言いません。

なんなら、『宿題なんか、しなくて良いよ』と伝えています。

 

一応、マナーとして『その箸の持ち方だと、後々恥ずかしい思いをするよ』という様に話す事はありますが、本人が『僕はそれで構わない』と言うのであれば、それを尊重しています。

 

また、週末に限っては、食事の際の家族そろっての「いただきます」は廃止していて、予めこちらで準備している物を食べたい時に食べるスタイルで、本人が食べ始める時に手を合わせて「いただきます!」って言えば良いかなーと。

平日は、食器の片づけを早く終わらせたいので揃って食べますが、そもそも揃ってのいただきますは学校で教育して貰ってますからね。

 

 

子供を ”大人が枠にはめる” 事の最たるものが、通知表ではないのでしょうか?

 

ウチの子供が通う小学校で、もしこの取り組みをするのであれば僕は大賛成です、しむしろ応援したいと思います。