平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

生活保護が抱える難しい課題

愛車のデリカを洗車に出してきました。

 

僕の中に一つ決めごとがありまして、週末など子供のサッカーで遠征に行く際、車出しをする時には、必ずガソリンスタンドへ洗車と車内清掃に出してます。

 

前からそうなんですが、ゴルフに行く時に誰かを乗せていく場合などにも、前もって必ず洗車と車内清掃に出していました。

 

それは、年上年下に関わらず、少しでも移動が快適になればとの思いからそうしてますが、もてなす気持ちとでも言うのでしょうか、自分でも大切にしたい部分と思っています。

 

 

さて、ウチの会社はご存知の通り、就労継続支援事業をやっていますが、利用者さん24人の内、知的と精神の割合はほぼ半々といった感じです。

 

この割合は、不思議と人数が増えても減っても変わりません。

 

そして、生活保護受給者の割合も、全体のほぼ半分。

 

この割合も、何故か変わりません。

 

 

そうなると、常に付きまとう問題が、必要な人に支援が行き届いていないというパターンと、知的障害があるが故に、悪意を感じる事無く不正受給しているパターンです。

 

そんな不正受給に関する記事が出ていたのでちょっとご紹介です。

news.yahoo.co.jp

 

例えば、依存症の場合は精神障害で手帳を取得する場合が多く、生活保護費からパチンコに通う事が問題になる事もあります。

 

そして、知的の場合は統合失調症などと併発することもありますが、そもそも善悪の判断ができない場合もあります。

 

悪いと思っててもやめられないケースもあれば、そもそもルールを理解していなかったりするケースもあります。

 

知的も精神も、共通している特性としてあるのが ”我慢ができない” という部分です。

 

『欲しいものがあると買ってしまう』

『財布を拾えば自分の物にしてしまう』

『嘘をついてでも隠してしまう』

『自分が正しくて、周りが間違っている』

 

と言う様な特性が強い場合には、特に現代社会では生き辛さを感じてしまいます。

 

もちろん、税金が原資ですから生活保護の使い道には正当性が求められるのは当然です。

 

しかし、生き辛さを感じてる方々の中には、理解していなかったり我慢が出来ない方もいるんですよね。

 

ルールだけでは縛れないけど、かと言って所謂 ”常識” で縛る事もできない。

 

本当に、根深い問題だと思います。