下手な事書くと、お医者様から睨まれても嫌だなと思いながらも、読者が少ないブログの利点を利用して記事を書いてみようと思います。
今日の特筆すべき記事は、精神科病院での40年に及ぶ入院生活を余儀なくされた方が、訴訟を起こしたという内容です。
この記事はまだ全編が書かれていないようですが、この記事を読むだけでも闇の深さが伺えます。
僕自身、現在まで精神科に掛かった事はありませんが、子供の頃から窓枠に鉄格子というその異様な風体や、街の中心部から少し離れた地域に建設されている事から、病院とは言っても ”何か違う雰囲気” を感じていました。
昔から、日本では障がい者に対する差別意識は非常に強く、障がい児が生れた事で村八分にされたり、お姑さんからお嫁さんが酷いいじめを受けたという話は枚挙にいとまがありません。
そんな時代なので、障害を持って生れた子供は直ぐに病院や施設に預けられ、そこで一生を過ごすというのが当たり前だったとも聞きました。
近年は障がいに対する理解もほんの少しだけ深まり、個人の尊厳や人権の尊重が謳われる様になりましたが、僕としてはまだまだ差別意識が根深いと感じています。
その一端には、先ほどリンクに貼った記事にもありましたが、やはり国主導で病院政策を進めた背景がある様に思えてなりません。
これは余談ですが、別府には太陽の家を含む巨大な障がい者施設が多数ありますが、その中でも全国的にも珍しい「国立障害者リハビリセンター(旧国立別府重度障害者センター)」があります。
これは、近くに「九州大学病院別府病院(旧温泉治療学研究所:愛称温研)」があることからも分かる様に、戦争で負傷や被ばくをした方々を温泉で治療し、リハビリする事を目的に設置された経緯があり、現在でも障害者リハビリセンターでは交通事故などで肢体不自由となった方がリハビリを行う施設として利用されています。
この様にして別府という町は、温泉を軸として障がいのある方々を受け入れてきた経緯があるのですが、その別府においても、まだまだ心と物理的バリアを感じる事があります。
そんな別府で、障がい者の就労支援事業所を運営する事に強い使命感を持っているのですが、やはりそこでもお医者様の ”強さ” を実感する場面に多々遭遇します。
スバルは知的と精神が4.5対5.5の割合ですが、特に精神のメンバーについては、自立に向けた支援を行う中でもお医者様からの診断や知見が大きく影響します。
中には、一度精神科へ入院した事から、近隣住民とのトラブルが発生した際には直ぐに再入院させられたという経験を持つメンバーもいますが、その方は、最初の入院こそ4か月程度で退院できたものの、二回目の入院は ”再犯” という事もあり、約2年間もの入院生活を余儀なくされたそうです。
それと、『本当に、そんなに薬が必要なの?』と思う量の薬を服薬している人もいます。
本人に聞いてみても、『いや、病院の先生が、、』という答えになりますし、訪看さんに聞いても『ドクターからの指示なので』と、理由が釈然としない状態が続いている人もいます。
もちろん、服薬の全てを否定なんかしません。
僕だって、過去に幾度となく正露丸に助けられていますから。
それでも、基本的にはお薬を飲まなくて済んでる状態が、一番正常だと思うんです。
一回の服薬で8~10錠も飲んでる人にその中身を聞いてみると
『これは気分が上がり過ぎない様にする薬で、これは気分が下がり過ぎない様にする薬です』
って、素人からすると矛盾にも感じますが、上がり過ぎず下がり過ぎずをそれぞれの薬で補うのだそうです。
先ほどの長期入院の件もそうですが、この服薬に関しても裏側には ”病院経営” の側面がチラチラしてる気がしてなりません。
ウチのメンバーの中には、スバルに来てから洗車やビルメンの作業に従事するようになって、インスリンから脱却した糖尿病持ちがいます。
要するに、お薬は必要な時に服薬し、日常的には身体を動かすなどの健康管理が基本になるのではとも感じています。
統合失調症のメンバーもウチに来てからというもの、鬱の症状がでる事も減り、睡眠薬の量も質も下げたと言っています。 それは、適度な運動で自然と眠くなることが多くなったからだと。
食事、睡眠、運動。
このバランスが大切な事は、周知の事実です。
この観点から医療を推進しているお医者様がいらっしゃるのであれば、是非ともお話をお伺いしたいですね。