平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

間違った人権擁護論に基づく、高齢者ドライバー問題について

仕事で車を運転するので、年間走行距離はかなりの距離になると思うのですが、そうなると気になるのが高齢者ドライバー。

 

この一年間だけでも、車の横転を3回見てますし、信号無視で突っ込んできた車も2度見てます。(因みに、2回目はさっき)

ドライバーや、事故現場で立ちすくんでいたのはいずれも高齢者。

 

日頃から、蛇行運転や法定速度を大幅に下回って走行する高齢者マークの車輌を、幾度と見てます。

 

ここ最近でも、ニュースを見ると高齢者ドライバーが原因と見られる重大事故が後を絶ちませんよね。

 

なのに、国は自動車メーカーに ”安全装置の充実” を求めるばかりで、一向に道路交通法には手を付ける気配がありません。

 

果たして、”安全装置神話” を鵜呑みにして良いのでしょうか?

 

答えはNOですよね。

 

つい最近も、自動車販売店で行われた安全装置のデモンストレーションイベントの最中に、デモ車輌の装置が働かずに従業員が轢かれて亡くなるという事故が起きたばかりです。

 

安全装置は、一定の条件を満たしていないと作動しませんし、センサーが誤って判断する事で誤作動だって生じます。

 

 

では、どの様な法規制を行えば良いのでしょうか。僕なりに考えてみました。

 

それは、大きく分けて三つ

①70歳以上は、原則免許返納の義務化

②70歳以上で運転を希望する者は、年に一回のテストを受ける

③購入できる車輌を限定する

です。

 

先ず、①がかなり高いハードルです。

なぜかと言うと、それこそが『法の下の平等』であったり『基本的人権の尊重』に引っかかるから。

 

そして、自動車業界からも、ユーザーが減るという事で反発必至です。

もちろん、『買い物弱者』という、車必要論もあるでしょう。

 

でも、真剣に考えて欲しいのが、車を運転するという権利の裏には、事故で命を落とす人の生存権が侵されているという事。

 

僕は、運転技術が衰えた事で基準を満たさなくなった人にも、運転を許可している事自体が問題の本質だと思っていて、安全装置の発達の遅れが問題の本質では無いと思います。

 

なので、70歳以上のドライバーは、免許返納を原則とすべきです。

 

 

②には手順があります。

(1)更新費用とは別に、テスト費用を1.5万円程度徴収する

(2)テスト内容は、学科と実技とがあり、実技に関してはシュミレーターでブレーキテスト等をクリアした者のみが、公道でのテストを受けられる。

(3)テストの結果は3~5段階程度で評価し、運転問題無しから免許はく奪までの段階を設ける

 

ここに、学科とシミュレーターによるブレーキングテストがあるのが特徴です。

 

特にブレーキングテストは、障害物を認識してから何秒でブレーキをしっかり掛けられるのかや、病院などから公道に出るまでの流れ、コンビニで頭から駐車している車輌をバックで出庫できるか等を見極めるという、厳しい内容です。

 

これをクリアしてから公道でのテストとなる訳ですが、普通に考えて貰えたら分かりますよね?
これって、普通に必要な技術なんです。

これを持ち合わせて居ない高齢者がゴロゴロ運転してます。本当に恐ろしい事です。

 

 

そして、③の購入できる車を限定するというのは、先程のテストで評価されたランクによって、安全装置の装着度合いが変わるという仕組みです。

『問題無し』の場合は選びたい放題ですが、制限が付けばつく程、高価な安全装置が付いた車に乗らないといけないという風にします。

 

これは、結果として自動車メーカーにとっても技術革新を急ぐ要素になりますし、単価が上がる事にも繋がります。

そして、運転手の技量とメーカーの技術がリンクする事が重要だと思います。

 

買い物弱者への対応はどうすれば良いのでしょうか?

 

それは、心配ないと思います。

 

何故かと言えば、車を降りる人が増えれば、それだけ買い物代行へのニーズが増えるという事なので、誰かが必ずサービスを始めます。

 

それに、例えばですけど、コミュニティバスなんかの利用者も増えるでしょうし、タクシーや電車、バスなどの公共交通機関の利用には、補助を出す仕組みを強化すれば良いんです。

 

運転するという権利を保護する事も重要ですが、その事により生存権という、最も重要な権利がいとも簡単に侵されている事に早く気付くべきです。