プラゴミ削減を目的としたレジ袋(ビニール製)の有料化に続き、プラスチック製のフォークやスプーンも対象となりそうです。
この件に関して言えば、『海洋プラゴミの根本的な問題は、ビニール袋ではない』という専門家もいます。
確かに、僕もクジラの胃袋からビニール袋が出てきたというニュースを見た事がありますし、そのまま放置していても自然には還らない事は理解しています。
でも、海を見てもゴミの大半はペットボトルや家庭ごみが大半です。
なのに、何故ビニール袋やプラスチック製のスプーンが対象になるのでしょうか?
話は変わりますが、最近では著名人の ”聖火ランナー辞退” が相次いでいるというニュースや
報道ステーションの『ジェンダー平等』というキーワードを扱ったCM動画
が物議を醸しています。
さてさて、プラゴミ問題や著名人のランナー辞退などの問題の本質はどこにあるのかと、僕は僕なりに考えてしまいます。
というのも、聖火ランナー問題に関して言えば、昨日のニュースで黒木瞳さんが辞退した理由が紹介されていましたが、その内容が『私が走る事で、沿道に人が集まる事があると密になるから』というものでした。
確かにですよね。
という事は、聖火ランナーが走る沿道にはバミリをして、観客が立つ場所が指定されていて密にならなければ走るとでも?
この様に、自分の気持ちを明確に発信されていて、恐らく本心だとは思いますが、もしかするとこの発言の基には、『皆が辞退している中で、自分も走りにくい』という、日本人にありがちな ”同調の雰囲気” が根幹にあるのでは?と考えてしまいます。
実のところの問題の本質は、
『日本人は周囲と違う行動や発言をする事に ”異質” や ”異端” といったレッテルを貼りたがる傾向にあるので、自分も非難を受けている人と同様に扱われるのを嫌って辞退を検討し始めた。』
とうのがあるのかも知れませんよね。
であるならば、発言と行動の本質は『密を避ける』事では無く、『非難を受けない為』になりますよね。
家庭不和やいじめ、会社での不満なども含めて、問題がある場合にはその本質を考える必要がありますが、ついつい『旦那が家事を手伝ってくれないのが問題だ』とか、『いじめはダメ。だから謝れ。』とか、本質を突かない所での議論が始まる様な気がします。
少し話題は変わりますが、ラジオを聞いていると、とある遊戯施設のCMナレーションで『感染症予防対策を十分に行っています!!』という内容を耳にしますが、これって誰に対して伝えたいのでしょうか?
僕には、その遊戯施設にはいかない人、延いては否定的な人に対してだと感じてなりません。
何故かと言うと、感染症が拡大しているさなか、遊戯施設が都道府県や市町村の要請に従わずに営業している事がニュースになったからです。 要するに、感染症が拡大しているさなかでも行く人は行きます。
中には、『地元の遊戯施設が閉まってるから』という事を理由に、県をまたいだ ”遠征” をする人だっていたくらいです。
という事は、それでも遊戯施設に行く人にとっては『感染症予防対策云々』はどうでも良い事なので、遊戯施設を利用しない人からの批判を避ける事が狙いではないかと。
建前『感染予防してるので、安心して遊びに来てください!』
本音『施設を利用しない人が色々言うなよ』
(ここではあくまで本音と建前の例として遊戯施設を上げていますので、特定の施設を否定している訳ではありません)
それと、コンビニのトイレなどに設置されているエアータオルが、『感染症拡大防止の観点から』という名目で、『使用を禁止しています』となっている件。
確かに、水分を吹き飛ばす程の風力を当てれば飛沫が飛び散る事は容易に想像できますよね。 何だか説得力があります。
でも、『そもそも、洗った後の綺麗な手では?』という疑問と、『何故、エアータオルの代わりにペーパータオルを設置しないの?』という疑問が湧きます。
手が濡れたままになれば、雑菌が繁殖しますよね?
そして、飛沫の拡散という事でマスクは浸透しましたが、マイタオルは推奨もされずに浸透していません。
という事は、『本気で予防に取り組む』というのであれば、マイタオルを忘れた人の為にもペーパータオルを設置するべきだと思いますが、何故設置をしないのでしょうか?
建前『感染症拡大の為、エアータオルの使用を中止しています!』
本音『そこに経費を掛けたくない』
この様に、日本には ”建前” という文化が根付いており、黒木瞳さんの『密を避ける』発言も建前と捉える事もできますよね。
”なぜ、わざわざそんな事を言うのか”
”この人の発言の真意は何なのか”
”この人は、何と比較してその考えに及んでいるのか”
建前がある以上、その本質を考える癖って必要なのかも知れませんね。