平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

中学生時代の思い出

なんだか気持ちがスッキリせず、お酒もイマイチな感じなので、どうでも良い事を書き残そうと思います。

 

【AMラジオっこだった中学生時代】

実は、中学生の頃はめちゃくちゃラジオっ子でして、番組宛にほぼ毎日の様にハガキを書いていました。

 

特に好きだった番組は、KBCラジオで夜の9時から放送されてた「中島こうじアワー ザ 3P」という、あの頃だからこそ許されてたであろう番組名を冠したトーク番組です。

 

KBCお抱えのマルチタレントである中島こうじさんが、軽妙かつ放送禁止ギリギリをつく軽妙なトークが人気を博し、特にハガキネタコーナーは翌日の学校で話題になるほどでした。

 

【ほぼ毎日ハガキを書いても勝率は2〜3割。】

 

四天王と呼ばれるハガキ職人は、同じ日に2枚読まれる程の実力があり、毎日の様にハガキを書いてもその差は縮まる兆しがありません。

 

ただただ、ガムシャラにハガキを書き続けた僕は、枚数だけは誰にも負けて無かった自負があります。

その証拠に、ハガキが番組内で読まれた枚数が少ない割にはペンネームがプロデューサーさんの目に止まっていた様で、様々なコーナーに電話出演させて貰う事に成功しました。

 

その数、なんと年間3回。

 

競争率が低かったのも有るのかも知れませんが、クイズコーナーやフリートークなどにも出演をさせてもらっていました。

 

【人気コーナーを誘致!でも、コーナーには出演せず】

 

その番組には『放課後』というコーナーがあり、取材班が学校に出向いて学生に夢や恋愛事情などをインタビューするという人気企画がありました。

 

主に市内の中学校が対象だったと記憶していますが、“正に青春”を謳歌している学生の話はとても面白く、自分が通う中学校でも『いつかウチにも来ないか』と話題になるほど。

 

そんな機運が高まっていたある日、いつもの番組プロデューサーから自宅に電話があり、『放課後のコーナーでお邪魔したいけど、大丈夫かな?』との相談が。

 

僕は嬉しさのあまり『全然OKっす!!』と即答しそうになりましたが、そこは日本人。 

即答はせず、

『明日、先生に確認して折り返します。』と新入社員よろしく、丁重に受話器を置いたのです。

 

僕の心の中では、

『あの!あの放課後のコーナーが西中に来るかも!!』と。

翌日僕は高鳴る鼓動を抑えつつ、いつもより足早に登校したのを覚えています。

 

“いつ言い出そうか”とソワソワしながら先生の顔色を伺いつつ、意を決して昼休みに担任の元へ向かいました。

 

緊張しつつも、礼儀正しく職員室に侵入した僕は、迷う事なく担任の元へ。

 

『先生、ちょっと良いですか?』

 

と、余り情熱的にならない様に配慮しつつ、且つ、僕がハガキを毎日書いてる事を悟られない様に細心の注意を払いながら経緯を説明します。

 

担任は『分かった。校長に聞いてみる。』とやや冷たい反応。

 

それもそのはず。 

数日前に担任が担当している社会科のテストで、僕は40点を叩き出した直後という状況下。

 

『お前、ラジオ聞いてる暇があったら勉強しろよ!』

という声が空気の振動を介さずに心に届きます。

 

僕は、担任がこの話を通してくれたら『これから社会科を頑張る』事を決意し、結果を待ちました。

 

結果は『OK』。

 

KBCラジオと通っていた中学校を繋ぐネゴシエーターまでやりました。

 

程なくしてプロデューサーから電話があり、取材の日程と時間の調整を行います。

 

『火曜日は何時に終わる?』

『どんな部活が盛んなの?』

『そもそも、このラジオ聞いてる人いる?』

など、今更そんな事聞くなよ的な質問もありましたが、調整も無事に終わり、取材当日を迎えました。

 

午後になるにつれて、ソワソワ感が半端無い状態に。

 

先生達は知ってるでしょうが、生徒で知ってるのは僕一人だけ。

 

『口外禁止』を死守したので、誰にもバレていません。

 

授業が終わると、いつも通りに部活着に着替えて、ウォーミングアップを始めました。

 

『まだ誰も気付いて無い。そろそろプロデューサーに挨拶に行こうかな』

 

と思ったその時、

 

『ザ 3P』のヘビーリスナーが早くも情報を嗅ぎつけ、校門でプロデューサーにチャチャ入れてるではないですか!!

 

気付けば取材班は生徒に囲まれ、インタビューされたがりの学生が列を成してます。

 

僕は、ザ 3Pを甘く見てました。

 

数名がたむろするのは想定内でしたが、まさかあの女子まで列に加わるとは。。

 

僕は、その場を離れる事にしました。

 

ただ、

 

生徒の『これ、誰が呼んだーん!?』

 

という声に、ちょっとだけ優越感を感じたのも確かです。

 

後日、プロデューサーさんからお礼の電話があり、『何で来なかったの?』

とも聞かれましたが、そこは日本人。 

『いやー、ちょっと忙しくなっちゃって!』と中学生にしては意味不明な言い訳ではぐらかしましまた。

 

そんなこんなで終わった中学校生活ですが、そんなに悔いはありません。

 

なんか全力だったし、なんか中途半端だったし。

 

それでも、今振り返ると楽しい方が多かったのかーと、最近になって思います。