平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

転重軽受という事ですね。

実は今、就労継続支援B型スバルの大分サテライト出店に向けた準備を進めています。

 

洗車やビルメンを事業の柱とし、別府同様に高工賃の実現を目指すもので、一般就労に限りなく近い人材の育成を目標とします。

 

『先ずは、皆んなの“城”となる拠点の選定』という事で、ここ数日は大分を行ったり来たりしていました。

 

そんな中、愛車のデリカに乗り込んだ最初の信号で停車した時に、いつになく胸騒ぎがして、

『社用車で行った方が良いのかなー?』

という事を漠然と考えました。

 

しかし、今日は現場がフル稼働。

 

乗れる社用車もなく、“ドライブを楽しもう”と気持ちを切り替えました。

 

 

不動産屋さんから物件の鍵を借り現地に向かうと、そこは閑静な住宅街。

 

築40年以上の古い街並みという事もあり、物件に繋がる道は離合すら不可能な道幅です。

 

『デリカでは余り通りたくないなー』と思いつつも狭い路地を左に曲り、目的地に向かいます。

 

程なくすると、右手に物件の駐車場が確認できたのですが、どう見ても道幅はギリギリ。

 

建物は隣との境界もなく、『こんなんで揉めたりしないのかな?』なんて心配をしながら、大きな車体を慎重に駐車します。

 

車の右手にカーポートの柱があった為、全体的に左寄りに留めたのですが、これが命取りに。

 

内覧を終えて出庫しようとした際に、それは起こりました。

何と、左隣りの家が設置していた高さ30cm程のブロック塀に、車体の左側を“ゴリゴリ”と擦ってしまったのです。

 

入庫の際には隣の家との間隔、カーポートの位置と高さ、そして全体の奥行きは確認済みでした。

 

しかし、隣の家の下までは確認をしていなかったのです。

 

“何かがある”事を全く想定していなかった僕は、『え?何か踏んだ?』位にしか思っていませんでしたが、車を降りて愕然。

車体ドアの下部に取り付けられた、飾りのスカート部分が見事にめくれていたのです。。

 

一瞬、現実を受け止められずにいましたが、『取り敢えず鍵を返そう』と思い、車を走らせながら気持ちを整理しました。

 

不動産屋さんにも、物件を見た感想を冷静に伝え、他にも候補がある事などを一通り伝えてその場を後にしました。

 

 

車内ではハンズフリーで電話をかけ、保険屋さんと知り合いの板金屋さんに手配を掛けます。

 

そうこうしながら別府に向かう中で、ふと頭を過ったのは、

『これには何の意味があるのだろうか?』という事でした。

 

大分に出向く機会が増えて、運転する時間が伸びた。

出発時に感じた胸騒ぎをスルーした。

社用車が無く、デリカで行くという選択しか無かった。

何なら、ドライブを楽しもうと気持ちを切り替えた。

現地の道路が狭くて『ちょっと嫌』と感じながらも、目的地に進んだ。

 

これらを考えると、何とも言えませんが

“必然的にデリカをぶつけたのでは?”

と考える様になりました。

 

もし、社用車に余裕が有れば、胸騒ぎに従って社用車で出掛けていたと思います。

そして、社用車で出かけていれば、多少道が狭くてもお構いなく進んでるでしょうし、何ならもっと激しく擦ってしまったとしても、『あーあ』で済ませてしまい、心理的負担はかなり低かったと思います。

 

それらを総合すると、もしかしたら

『もっと大きな事故を起こしてしまう可能性があったのでは!?』

と考えました。

 

よくよく考えると、最近は特に考える事も増えた上に、多忙な中で運転時間が必然的に伸びる結果になっていました。

 

それでも、“自分は大丈夫だ”

と慢心を起こしていたのかも知れません。

 

 

『転重軽受(てんじゅきょうじゅ)』

とは、

重きを

転じて

軽く

受ける

と言います。

 

事実、デリカが傷付いた部分は、部品として交換可能なスカート部分であり、車体本体には一切の影響は有りませんでした。

 

しかし、自分が大切にしていた愛車を傷付けたという心理的警戒心は最大限に膨らむ結果になったのです。

 

この事により、今後の大きな事故(重)に対する警戒心を、小さな負担(軽)で回避(受)出来たと考えれば、今回の様に擦り傷(転)で済んで良かったと思えました。

 

これこそ『転重軽受』という事ですね。

 

明日から、また気を引き締めていきたいと思います。

 

軽く受けられて良かったー