平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

思った通りの人生を歩める事が幸せじゃないみたい

『隣の芝生は青い』

 

これは、他人を羨む人の心境を表した言葉ですが、人って常に勝手に誰かと比較して

『あの人はお金持ちだから幸せそう』

『あの家庭は子供がいて羨ましい』など、ついつい自分が置かれてる状況と他人様を比較しちゃいますよね。

 

でも、僕が最近“幸せ”と感じる時は“他人様との比較”で得られるのではなく、“自分自身がどう感じているか”による部分が大きい様な気がしました。

 

楽して稼げてる訳でも無く、全てが自分の思う通りに行ってる訳でもありません。

 

でも、家族が居て、従業員さんが居て、利用者さんが居て、仕事がある。

 

無い物も沢山ありますが、ある物も沢山有って、今はそれで十分幸せを感じられます。

 

『お金が有るから幸せ』

『子供が沢山居るから幸せ』

『大きな家に住んでるから幸せ』

『高級車に乗ってるから幸せ』

 

なんて、全ては無くなる可能性のある物ばかりですよね。

 

『希望通りの就職先が決まった』

と言っても、潰れないとも限りません。

 

僕は、自分が望む高校に通えていませんし、大学にも行っていません。

 

スポーツ特待での進学も、親の希望で諦めました。

 

でも、今となってはそれで十分に幸せを感じられます。

 

その時は嘆きました。

 

『何で僕が』って。

 

でも、その一つ一つの選択がズレていたら今の自分が存在しないと思うと、

『あの高校で良かったなー』とか、

『大学に行かなくて良かったなー』と思います。

 

もし、希望する高校に通ったり、よもや大学に通っていれば、今の人生は変わっていたに違いありません。

 

そうなると、今頂いてる人とのご縁も無かった事に。

 

そう思えるのも、今の自分の人生が幸せと感じられてるからだと思います。

 

時として、自分の人生の選択を他人に左右される事があります。

 

それが、自分の選択と違ったとしても、その後を自分がどう生きるかによって、良くも悪くも出来る様な気がします。

 

『あの時、あの人に人生を狂わされた』

 

なんて嘆くより、

 

『あの人を見返す為に頑張った』

 

と心の中での糧としていく方が、よっぽど人生楽しいと思いますね。