平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

人生に ”無駄な時間” は無い

予想外にして、予想以上の人生になってます(笑)

 

 

 

僕も子供の頃は、中学を卒業したら高校から大学に進学し、どこかの会社に就職 ”しないといけないんだろうなー” と漠然と考えていました。

 

ただ、ウチの家庭環境としてちょっと特殊だったのが、お袋が居酒屋を経営してたという事。

 

なので、就職以外にも ”自分でお店をする” という選択肢が身近にあったのは大きいと思います。

 

 

その選択肢があったからなのか、高校を卒業する時も、進路が何も決まっていない事に対する焦りは皆無。

『お金が欲しけりゃ働けば良いし、大学行きたくなれば来年受験すれば良い』くらいにしか考えていませんでした。

 

 

高校から始めたファストフード店でのバイトも ”高校卒業” を理由に辞めて以降、派遣会社に登録してフリーター生活が始まりました。

 

そこで派遣されたのは、深夜の工場でコンビニ弁当のおかずをひたすら詰めたり、カゴ一杯の明太子を機械にひたすた投入したり、倉庫の運搬業務をしたりと様々な経験をさせて貰いました。

 

その時感じたのは、『どこに行っても ”主”がいるんだ』という事。

 

ただ単に偉そうにしてるバイトリーダーもいれば、単純作業も職人並みに正確に早く仕上げる人など様々です。

 

 

その時の僕は、 ”何がしたい” とか全くなかったので、実家で生活していた事も有り、遊ぶお金だけあれば良いような感じでした。

派遣先で『何か爪痕を残そう』とも思う事も無く、仕事に対しても特に意欲的に取り組む事もありません。

 

とにかく言われた場所に時間通りに向かい、言われた作業を ”こなす” 日々。

 

 

そんな毎日は、一般的に見れば ”若さの無駄遣い” の様にも思えますよね。

 

 

でも、結果を見ると『人生を早々に決めなかった』事が今に繋がってる様な気がします。

 

 

『この業界はコレを極めなきゃいけないんだ』とか

『この仕事はこんな人に向いてるんだ』とか

 

様々な事を学べた事も、今の人生においてはとても貴重な経験になりました。

 

 

そして、自分が ”仕事に対して何を求めているか” を知るきっかけになったのは、21歳にして初めて就職した、不動産賃貸業の営業職に就いた時です。

 

この時初めて営業職に就いたのですが、母親の店を小学生の頃から手伝っていた経験がここで生かされます。

人と話す事や接客に対して抵抗が無かった事が功を奏し、成績優秀者として表彰を受けたり、年齢の割にはかなりのボーナスもゲットしました。

 

 

 

ただそこはバブル期を彷彿とさせるほどのブラック企業

 

 

『24時間 戦えますか?』を地で行く会社です。

 

 

僕はそこで、”休暇とお金のバランス” が大切な事に気付いて退職しました。

 

 

 

その後、叔父さんの会社の営業を手伝った事で業界第三位のハウスメーカーに中途入社する事に繋がり、その会社の転勤で大分に引っ越して来た事で別府定住に繋がり、別府は観光で有名な街ですが、一方で障害者福祉の街としても有名で、その縁あって今の仕事に繋がっています。

 

 

 

高校を卒業してからしばらくは、『大学行ってみよっかなー』とも思いましたが、受験に失敗したり『学費は自分で払ってね』と親から言われた事も有り、進学は ”諦めた” 形になっていましたが、今振り返ってみれば大学に行ってればまた別の人生になってた可能性もある訳で。

 

 

結局、今が幸せだったら過去の失敗も肯定できますよね。

 

 

当時は上手くいかない現実を悔やんだりすることもありました。

 

 

でも、今では『その経験が無いと、今の自分は無い』と思えるのが、また幸せですよね。

 

 

そして、この ”過去の肯定” という考え方は、今の経営者人生にも生かされています。

 

 

というのも、経営だって常に順風満帆とはいきませんよね。

 

 

そんな時に、『今の苦労(や苦しみ)は、未来の成功に活かされる』と思えるからです。

 

 

辛い事を肯定的に捉えられるって、生き方を凄く楽にしてくれます。

 

 

立ち止まったり、思う様に前に進まなかったりする今を、どう捉えるか。

 

 

結局は、自分で切り開くしかないんですよねー。