今日は "運” にまつわる記事をいつもより多く見かけました。
『運も実力のうち』とはよく言いますが、意味としては『日頃努力をしているから、運も味方した。』と捉える方が多い様な気がします。
『日頃からちゃんと努力(練習)してないと、運よくボールが転がってきてもゴールは決められないよ』と。
ただ、僕からすると "自分は運が良い” と思っているので、どちらかと言えば『実力も運のうち』の方がしっくりくるんです。
例えばですけど、受験なんて最たるもので、どれだけ勉強して臨んでも自分より学力が高い人が受験していたら合格できませんよね。
要は、人生そのものが、"努力” と同時に必要な "運” に頼るしかないんですよ。
僕の家庭は、幼少期こそ少し足りない位の普通の家庭でしたが、母親が居酒屋経営を始めてからというものの、 "どちらかと言えば裕福な家庭” へ移行しました。
しかし、母親は僕にお金を使おうとせず、中学に上がってから買って貰ったサッカーシューズは2足のみ。
その2足目はポイントが取替式である事を理由に、『卒業までこれを履くから良いのを買ってくれ!』とお願いし、13,000円もするカンガルー皮を使用した "良いシューズ” を買って貰いました。
練習後も毎日ブラッシングして、オイルを塗ってを繰り返し、無事に2年履けたのですが、 "物” に対する考え方の基礎となったこの経験は、今になって活きてると実感します。
当時は『なんでこうなるんだよ!』と思う事でも、後々振り返れば『あの時の経験が今更活きた!』なんて事は多々ありますよね。
『4ぬ事以外、かすり傷!』なんていう人もいますが、その位の気持ちで生きていけたら随分と楽になると思いますね。
結局の所、今の会社だってそうですけど、安心して経営できるのも良い従業員さんに恵まれてるからです。
そんな従業員さんに恵まれる事自体も "運” です。
ただ、今の体制に落ち着くまでは入れ替わりが激しく、1年も続かずに辞めた人は5人位は居たと思います。(過去は振り返らないたちなので正確には覚えてません笑)
その経験を活かして採用方法を変えたり、色んな努力はやはりしてます。
でも、どれだけ努力をしてもウチの会社にその人が気付き、面接に来てくれないとどうしようもありません。
なので、正しい努力とイコールで大事なのが "運”です。
結局の所、やっぱり僕って運が良いんですよねー。
ただやっぱり、この年になった "経験” がものを言ってるのも実感します。
過去には沢山の『ごめんなさい』がありますが、『今に見てろよ!』というのも沢山ありました。
この前両親とキャンプに行った時に親父と飲んでて、親父に『高卒でディフェンダー買えたんだから、俺ってコスパ良いよねー』って言ったら爆笑してました。
結局の所、親の所得によって子供の教育が左右され、それによって学歴社会で苦しむ子供が居るというのが定説になってますが、僕はそれを『断言できないよ』と言えます。
だって、"今の” 僕は何も苦しんでいませんから。
学歴無いのに学歴社会で生きて行こうとするから苦しむんです。
無いなら無いなりに、他の路線で自分を伸ばして、努力して、運をフル活用すれば良いんです。
今の仕事は『半官半民』ですが、学歴無しでも5年の実務キャリアさえ積めば、半分公務員として起業まで出来ちゃいます。
道はなんぼでもあります。
過去に付けた知識をアップデートしつつ、更に新しい知識と経験をどん欲に求める。
子供にお金を掛けられる経済力なんかの話では無く、親として子供にどれだけの選択肢を提供できるのかが重要だと思います。(ウチの両親は示してくれなかったから、それを反面教師として活かしてます)
20歳になったら『はい大人でしょ』と言われ、結婚したら『あなた夫でしょ』と言われ、子供ができれば『もう父親なんだから』と言われますが、そんな急には自分の成長が間に合いませんよ。
でも、運の良い僕は妻に恵まれ、子供にも恵まれ、何とかやっていけてます。
ただ、結局は運なので、どこかで尽きちゃう事だってあります。
でも、運なので尽きちゃったらまた付ければ良い。
無くならない幸せなんて無いんですから、それならまた新しい幸せを探せばいいんです。
失った時の喪失感は、絶望という言葉通りです。
でも、前さえ向いてれば何とかなるもんです。
最近、僕の口癖である『まぁ、良っか』に対してもう一つ、
『んな事くらい、どうでも良いやん』が追加されました。
運を付けるには、これ位の楽観的な気持ちが大切だと思います。
"嘆く” より今を楽しんだ方が、人生が断然楽しくなると思います。