平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

”無償の奉仕” には限界があるのでは?

皆さんはボランティア活動をされたことありますか?

 

 

僕は所属してる青年部でボランティアスタッフとして参加してるものが年にいくつかあるのですが、参加しててなんですけど実のところはボランティアっていう言葉があまり好きではありません。

 

というのも、

pref-f-svc.org

記事にもある様に元々は『自発的に』や『主体的に』という意味合いがあるようですが、日本の場合は文化なのかも知れませんが ”人の時間を搾取するボランティア” が横行してる気がしますし、何よりボランティアが居ないとできない事業ってそもそも成立してないと僕は思ってます。

 

 

 

やはり、何かの活動を行う上でのモチベーションって最終的には ”報酬” だと思います。

 

 

その報酬が『金銭』なのか『遣り甲斐』なのか、それとも『人の喜ぶ姿』なのかそこはひとそれぞれ。

でも、『何かしら』の報酬が無いとやっぱりテンションを張り続けるって難しいんですよね。

 

 

今回はこんな記事がありました。

news.yahoo.co.jp

皆さんは『オンブズマン』という言葉を耳にしたことありますか?

 

 

どんな活動をされているかは記事を読んで頂ければ理解してもらえると思いますが、やはりこの活動も『正義感』や『不正を正す』などの ”モチベーションが報酬” になっているようです。

 

 

しかしながら継続には黄色信号が灯っているようで、あの手この手で新入会員を集めているのが現状です。

 

 

 

 

組織って必ず ”高齢化” します。

 

 

 

想いの継承はそう簡単では無く、時代の変化によって価値観が変われば継承の仕方も変えないといけません。

 

 

 

だけどどうしても『20年前の発起人の思い』に固執しちゃうものなんです。

 

 

 

 

ちなみにですが、僕はボランティア活動にはかなり後ろ向きに取り組んでます。

 

 

なので動員が掛かると『面倒くさいなー』と思いながら渋々参加してます。

 

 

なぜかと言うと、本当に ”無報酬” なので。

 

 

もう何年もやってますけど遣り甲斐を感じてるのは『実行委員会』の人たちだけで、我々ボランティアは本当に使い捨てなんです。 遣り甲斐も感動もありません。

 

 

 

ではなぜ続けてるのか?

 

 

 

 

それは『卒業があるから』に他なりません。

卒業というゴールが無ければ、恐らく参加を辞めるか何年かに一回になるでしょうね。

 

 

 

発起人はその事業を継続していきたいのであれば、”何らかの報酬” を支払う努力をしましょうね。