超一流アーティスト、B″zさんの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」に負けず劣らずの長いテーマとなりました。
最近のウチの会社の話題としては、店頭販売のポップを一新したという位です。
実は、早速効果が出ました。
いつもは、ほとんど午後からしかお客さんが来ませんが、ポップを変えた日は、朝から3組ご来店と相成りました。
今日の仕入れでは、大根が少し多めに入ったのと、初めて人参が入ったので、里芋とのコラボレーションで豚汁をお勧めしています。
豚汁には別府漬物(有)さんの柚子胡椒もお勧めです。
もう、後はお味噌と豚肉があれば完成です。
さてさて、表題の件ですが、こればかりは意見が分かれるところですよねー。
過去にもジャーナリストが戦地に乗り込んで取材をしてる時に、捕虜となってお亡くなりになった事件がありました。
その際にも起こったのが自己責任論。
これは、要するに「あなたが勝手に行ったんだから、捕まろうがどうなろうが知ったこっちゃない」「自分で勝手に行っておきながら、身代金に税金を使うのは許せない」という、意見の表れです。
んー。これは非常に難しい問題だと思います。
渡航先が、危険な場所であると国際的にも認知されていて、尚且つ国からは渡航制限までなされている場合、基本的に渡航はできませんし、お金を使うだけのヴァカンスでそんな危険なエリアに行く人なんてまずいませんよね。
しかし、その危険な場所に行くことを職業としている人の場合は、少し事情が違います。
国が、渡航制限をかけていたとしても、外国は陸続きが殆どで、今回のシリアだってそうです。 行こうと思えば様々なルートから入る事は出来ます。
「事情はどうであれ、誰もが危険と認識しており、尚且つ国も渡航制限かけてる場所に自ら出向くって事は、それなりの危険を覚悟して行ってるんですよね?だったらそれは自己責任でしょ?」
というのが自己責任論者の考え方でしょう。
しかし、仕事とはいえ、戦場へ行くとなるとそれなりの覚悟は必要です。
今の日本では、戦争も紛争もありません。
なんなら、ハロウィーンなんかで渋谷のスクランブル交差点で痴漢されるのは自己責任かどうかという事で論争が起きる位に平和です。
そんな日本人に、今世界で起こってる事を知って貰いたいという使命感なのだと思います。
とは言え、海外にも戦場ジャーナリストは存在するため、情報が欲しければその人たちから買えば済むことです。
しかし今度は、海外のジャーナリストが命を張ってまで取ってきた情報を、日本人はお金で解決するだけで良いのかという、今度は道徳的な別の問題が生じます。
世界で共有すべき情報や実態をお金で解決で良いのかと。
海外に旅行に行って、車で自損事故を起こすレベルとはちょっと違う気もします。
ただ、全てにおいて自己責任論を当てはめる事が、果たしてできるのでしょうか?
僕の個人的な意見を言えば、会社を経営するという観点から考えると、ジャーナリストの方々が身の危険を侵してまで戦場に行くことと、会社を経営する事はそう違わない気がします。
確かに、日常的に鉄砲玉が飛んでくる戦場とは命の危険性の度合いからすると雲泥の差かもしれませんが、事業が軌道に乗らず、借金まみれで倒産しても国は助けてくれません。
命を取られる事は無くても、再起を掛けての再出発はそれなりの覚悟と努力と苦労がついてきます。
中には、その苦しみに耐えかねる人だっています。
ある意味、倒産のリスクを本当に知っていないと起業なんてできません。
もっというと、「そんなリスクくらいは承知の上で起業してるんでしょ?」と言われるのがオチです。
とは言え、全てのリスクを想定できる訳も無く、どれだけ心労尽くして考え抜いても、思いもよらぬ出来事は起こります。
しかし、僕が今もし「ジャーナリストのあの事件は自己責任かと思うか?」と聞かれれば「自己責任だ」というしかないでしょう。
それはある意味、資本の原理とでも申しますか、NOリスクではリターンは無いと考えた方が良いでしょう。
もっと言うと、事を起こした時点でリスクかリターンはついてきます。
その事を前提とした場合、やはりリスクは切っても切れないものと考えるべきでしょう。
勿論、人の命という倫理観と、会社経営に対する破産とは度合いが違うと考える人もいるでしょうが、僕も会社を興す際には借金もたんまりしてますし、子供も沢山いるので所謂 ‟命懸け” です。
ただ、ネットが主流の現代となった今は、各々の思いが発信しやすくなっていますし、誰でもキャッチできる環境が整っています。
だからこそ、発言には十分に気を付けないといけないと思いますし、責任が伴ってきます。
その上で自分の言葉で言うとすれば、そんな感じになろうかと思います。
んー、正確に伝わっただろうか。。