平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

人の不幸の上に自分の幸福を築いてはいけない

まぁ、自動車業界っていまだにこんなことやってるんでしょうね。

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製造業であれば、原価率が気になるのも分かります。

 

 

だって、同じものを同じ金額で売るにしても、原価さえ下がれば利益率は上がるんですから、最も簡単で手っ取り早いやり方である事は間違いないと。

 

 

 

でも、自分たちの利益を最大限に確保することを目的に、下請けさん達に圧力をかけるってやっぱり邪道だと思いますね。

 

 

どれだけ優れた技術を世の中に提供してるとしても、それは誰かの苦しみの先に提供された物だと思うと、乗ってる側も気持ちの良いものではないはず。

 

 

 

 

前の記事にも書きましたが、やっぱり ”悪意” が有ったのか、無かったのかは重要だと思います。

 

 

 

人生って、そんな綺麗に生きてなんかいられませんから。

 

 

 

であるが故に、『人の不幸の上に自分の幸福を築いていないか?』を常に自分に問い続けなければいけないと思います。

 

 

 

 

経営が苦しい時こそ、経営者としての本質が問われると思います。

 

 

 

僕も、スバルを立ち上げて直ぐで経営がめちゃめちゃ苦しい時期に、頭をよぎりましたよ。

『今の仕組みなら不正請求やる人いるよな。。』って。

 

 

だって、簡単にできちゃうんです。

 

 

 

 

それをやっちゃうのか、それとも踏みとどまるのか。

 

 

 

この選択はその後に人生にとっても大きな影響をもたらすと思います。

 

 

 

 

福祉あるある

つい3年程前に、金融機関からとある相談がありました。

 

 

内容は、宿泊業をやってる事業者が、事業領域の拡大を目的に就労移行支援をやりたいと。

 

要はコロナで行き詰まったので打開策として福祉事業をやりたいので協力して欲しいとの事でした。

 

 

僕は『お役に立てるなら』と言う事で引き受ける事にしたのですが、それもお世話になってる金融機関ですから無下にもできません。

 

 

 

無報酬を条件に研修を受け入れた上で、最低限より少しディープな福祉経営のいろはもふくめて伝えました。

 

 

 

 

 

だけど、

 

 

 

昨夜のニュースで知ったのですが、先月末に不正受給が明らかとなり、指定取り消し&賠償請求される事となったそうです。

 

 

 

 

んー、残念です。

 

 

 

これね、正直な所を言うと監査のやり方にも課題があると思っています。

 

 

 

あ、僕が怒られる?

 

 

 

 

いや、否定とかじゃ無いんです。

 

 

 

課題があるよ!って言う指摘です。

 

 

 

指摘とはいえ、行政という監督する立場からすれば  指摘=批判 と捉えられがちですが、そうじゃ無い事を重ねて伝えたい所です。

 

 

 

と言うのも、少しでも“定期”とは外れたタイミングでの監査に関しては、誰かが何かしらをタレコんでる可能性が非常に高いと。

 

 

そして何よりタチが悪いのが、そのタレコミには基本的には“悪意しかない”という事です。

 

 

 

悪意のあるタレコミをする人は、“いつかは自分が”と意気込んでる人が殆どで、程なく会社を辞めて独立し、前の会社の利用者さんを引き抜くという構図が基本です。

 

 

 

しかし、行政にはこれを見抜く能力は無く、しかも監査に入って微塵でも欠点があれば指定を取り消してきます。

 

 

そこに猶予が無いんです。

 

 

 

行政は忙しい?んです。 よね?

 

 

 

でも、善悪の判断だけは慎重にやって欲しいなーと。

 

 

 

前のブログでも書きましたが、ここで言う善悪とは、悪意があったのか、無かったのか。

 

 

 

悪意はどこまであっても悪意ですが、認識の甘さや確認不足のレベルは猶予があっても良いのかなーと。

 

 

 

でも、行政は忙しいので判断材料を集める時間も無いんですよね。

 

 

 

 

 

 

僕はそのニュースを見た時に、直ぐに代表にメッセージを送りました。

 

 

 

『大丈夫ですか?』って。

 

 

 

直ぐに返信きましたよ。

 

 

 

『全然大丈夫じゃありません』って笑

 

 

 

まぁそうですよね。

 

 

 

だけど、返信くれただけでも嬉しかったですし、僕としてはご家族が何より心配でした。

 

 

 

 

その事を伝えると、

 

 

 

 

『週明けにでも時間を下さい!』

 

 

 

 

との事だったので、来週のどこかで渦中の人とご飯に行ってきたいと思います。

 

 

 

『お役立てるなら』って事で、再建を目指すのであれば “正攻法” をお伝えできればと思います。

 

 

 

僕は、福祉事業ってもうちょっと脱皮する必要があると思います。

そしてその為には、行政と事業者が同じ立場で話し合う必要があると思います。

 

 

 

誰の為の事業であり、何が目的なのか。

 

その目的の達成基準と報酬が比例しているのか。

 

そして、それは継続可能なのか。

 

 

 

我々の声が政治のど真ん中に届く日は、果たして来るのでしょうか?

 

 

 

 

ウチのご飯

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昨夜はパスタとカルパッチョという、何ともイタリアンな晩ごはんにしました。

 

この献立を思いついたのは、前夜の手巻き寿司のネタだった刺身が余った事と、冷蔵庫にレタスと水菜の在庫があったので、長男君のリクエストだったパスタと組み合わせようと。

 

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パスタ(750g)はこれ(2人前×4袋)にベーコンを追加しただけ。

 

昨夜の買い出しが1,500円でしたので、在庫の分を合わせても2,000円くらいで済みました。

 

いやー、やっぱりパスタはコスパ最強レシピですねー。

 

 

晩ごはん作ってるのを公表しちゃったんで、今後はたまーーーーーに晩ごはんシリーズやりたいと思います。

 

 

食べ盛りの男の子が居る家庭の料理。

 

 

参考になりますかね??

役割分担って大事です。

実は。

 

 

 

ってほどの事でも無いのですが、基本的に晩御飯は僕が担当しています。

 

 

 

献立から買い出し、調理から片付けまで。

 

 

 

元々僕のお袋が飲食やってたので、お店の手伝いから調理が苦手じゃない事と、そもそも妻が特別に料理が得意じゃないというのが僕がやる様になった理由の一つですが、もう一つ大きな理由が、一回に作る量がめちゃくちゃ多くなった事です。

 

 

 

皿うどんだって8人前とか作るので、カレー鍋を使わないと間に合わないレベルなんです。

 

 

そうなると、買い物の量だって凄い事になります。

 

 

 

そんなん妻に任せてたら大変ですよね。

 

 

 

 

妻は洗濯が大好きなんです。

 

 

 

そして僕が大の苦手。

 

 

 

なので選択は妻に任せてます。

 

 

 

 

これでお互いにストレスを減らしながら家事が回ると。

 

 

 

役割分担は大事だと思います。

同窓会に補助金

昨日のブログ記事の続報ネタになるニュースがありました。

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岡山県が同窓会に補助金を出すというのです。

 

 

まぁ確かに『え?』という意見が出るのも当然ですが、昨日の記事でも書いた様にリアルでの接点がある人同士の方が、ハードルが下がると下がると思っています。

 

 

 

もちろん、同窓会が不倫に繋がるという懸念がゼロでは無いにせよ、それを言い出したらキリがないと思いますね。

 

 

 

結局の所、するかしないかは本人同士の倫理観や道徳観によるもので、同窓会を直接的な不倫の懸念に繋げる人はむしろ ”それ” が頭にある人ですよね。

 

 

 

いずれにしても記事にある様に、帰省の機会にもなればお互いの仕事の話をしてのビジネスマッチングにもなりますよね。

 

 

 

既婚と未婚が一目で分かる様に名札の色を工夫するなど、講じれる手段はあると思います。

 

 

 

旧知の仲であれば会話も弾むでしょうし、何せ初見の探り合いが少なくて済むのも良い事だと思いますし、別府でも『2回目の成人式』というイベントがありますが、これには毎年かなりの参加者が集っている様です。

 

 

 

補助目的を『少子化対策』に限定せず、幅広い狙いがあることを強調して理解を広げてもらいたいものです。

少子化対策ってやれることあるの?

出生数が戦後最低を記録したそうです。

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記事によると、若い世代の収入を増やしたり、低所得を理由に結婚や出産を控える可能性のある世代に対して『支援を行う』そうです。

 

 

んー。

 

 

 

でも、

 

 

 

結婚や出産を ”控える理由” って、低所得だけが理由なんでしょうかね??

 

 

 

『全体の構造や意識を変える』って言ってますけど、どの部分からどんな手を使って変えていくのか全く見えて来ません。

 

 

 

AIにでも聞いてみた方が良いのでは? とすら感じます。

 

 

 

 

一般論で言えば、労働人口が低下すれば国内の生産性が落ち、経済全体が悪くなると。

 

そして若者が減れば、超高齢化社会を支える経済の基盤も失う事になると。

 

 

 

仰ってる事は何となく分かります。

 

 

 

今の年金制度だとそうなりますよね。

 

 

 

 

でも、”少子化” という問題に対してやれることって何かあります??

 

 

 

 

因みに僕が結婚したのは29歳の時で、当時の年収は額面で300万円程度。

 

 

月収は額面で23万円で、出るか出ないかのボーナスを期待する程度でした。

 

 

 

その上、別府への移住後は直ぐに仕事が見つからず、生活費をサラ金からの借金で賄っていた為、200万円の借金も毎月返済している様な状況でした。

 

 

 

有難い事に、妻が結婚のタイミングで『一緒に返済していこう』と言ってくれた事で何とかなった感じです。

 

 

 

それでも今では4人もの息子に恵まれました。

 

 

 

 

そんな僕の経験からすると、確かに子供を育てる事への経済的負担に対する心配は多かったものの、結果的には妻とはそれなりに仲良く円満に来られた結果として、今の子供があると感じています。

 

 

 

いざという時には頼れる両親が居ましたし、段々と自治体からの支援も増えて来たのも安心に繋がったと思います。

 

 

 

官房長官も『構造や意識を変える』って言ってましたけど、僕はその部分がかなり大きいと思います。

 

 

 

というのも、ネット社会になってから何かと ”生き辛さ” が増えた様な気がするからです。

 

 

これまでは人とコミュニケーションをとる事に時間を割けていたのに、今やネットに割く時間が圧倒的に増えていて、生身の人間同士のコミュニケーションがそもそも減ってるんじゃないかと。

 

 

 

僕自身も感じていることですが、子供って4人も居れば親が構わなくても勝手に遊んで勝手に喧嘩をして、勝手に仲直りしてます。

 

 

 

そこにはゲームがありますが、それはあくまでツールであり、人間同士の生身のぶつかり合いがあります。

 

 

 

 

確かに、PCやインターネットの普及は世の中を変えました。

 

 

 

そして、それをより身近にしたのがスマホである事は言うまでもありません。

 

 

 

 

ただ、日本人はそれらを自分の収入を増やしたり、人生を豊かにするためのツールとして使えてますかね??

 

 

 

結局、日本政府の言う所の ”支援” って、これはやればやるほど原資は ”税金” なんですよね。

 

 

その税金っていうのは、大原則として ”広く平等” っていうのがあります。

 

 

なので、支援策を強化したところで税金が増えたのでは何の意味も成しません。

 

 

 

 

 

この少子化って、日本国民の民度が問われてると僕は感じています。

 

 

 

アプリを使って気軽に出会える分、一つの出会いに対する重みが軽くなっていたり。

 

 

コミュニケーションがテキスト中心になる事で、人の感情に対する感性が低下したり。

 

 

 

 

自分たちが10代や20代の頃って、出会いと言えば学校や職場を中心としたコミュニティーがベースでしたよね。

 

 

『同じクラスの〇〇ちゃん』や、

 

『同じ電車に乗ってる〇〇高校の人』や、

 

『職場の先輩からの紹介で』

 

 

などから始まり、何とかその人と『話がしたい』という気持ちから始まっていたと思います。

 

 

 

ちょっと長くなりましたが、『構造』を変えるのは比較的容易だと思います。

 

 

 

それとは逆に『意識』を変えるのは本当に容易ではないと思います。

 

 

 

でも、その『意識』を変える取り組みをやらないといけないのでは?と感じています。

 

 

 

 

が、そんな事できます??

明日が来ることを当然と思わない生き方。

また今日も、高齢者ドライバーのアクセルとブレーキの踏み間違えによる死亡事故が発生したようです。

 

 

 

いつも通りに朝起きて、いつも通りに身支度をして、いつも通りに家を出たはずなのに、それを最後に帰らぬ人になるって、意外と身近で起きてるんですよね。

 

 

 

その人にとって、その日が人生最後の日になるとは誰にも分かりません。

 

 

 

突然奪われる命。

 

 

 

残された家族。

 

 

 

突然閉ざされる未来。

 

 

 

 

 

交通事故に限らず、世の中で起こっている戦争や紛争もそうですし、災害もしかり。

 

 

 

 

そんな世にあって、先人から学ぶこと。

 

 

 

それが『臨終只今の正念』という言葉です。

 

 

 

これは、ザックリいうと『いつ何があっても悔いの無いように、日々を生きなさい』という事だそうです。

 

 

 

捉え方によっては生きる事自体が息苦しくもなりますが、生れた以上はいつかは死ぬという事。

 

 

 

そして、それはいつの時代でもいつ訪れるか誰にも分からないという事。

 

 

 

 

それでも明日を迎えられる様に、今日を精一杯生きる。

 

 

 

 

これに尽きるのかもしれません。