平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

知的障害者施設 大量殺人事件について

もう3年、まだ3年。

2016年に相模原市で発生したこの事件。

入所者や職員併せて45人が死傷するというとても痛ましい出来事でした。

 

ご家族の無念を考えると何とも言葉になりません。

 

そして、今日からその事件に対する裁判員裁判が始まります。

 

この裁判では、被告の刑事責任能力が ”最大の争点” とされていますが、今回の事件で刑事責任能力が問えるかどうかを審理する事に違和感を覚えています。

 

被告は「自己愛性パーソナリティー障害」という診断を受けているそうですが、それと併せて弁護側は「大麻使用によって精神状態が不安定であった」ことを理由に「無罪を主張する」そうですが、これは量刑を軽くするための弁護側の手段に過ぎないと感じています。

 

そもそも大麻使用自体がどうなんだという話なのに、それを使った上での犯行なので軽減してくださいと言うのはそもそもおかしい話で、では何故頭の良い弁護士さんがそれを言うかというと、「ただ単に減刑を求めただけではかなり重い量刑になるから」に他なりません。

 

これまでの裁判を見ていても分かると思いますが、検察側の求刑に対してそのままの刑期・刑量が言い渡されたケースを僕は知りません。

 

という事は、検察側が求める量刑からどれだけ減らす事ができるかが弁護士さんの腕の見せ所となる訳です。

 

これって、遺族側からするとめちゃくちゃ腹立ちますよね。

 

自分の子供を殺されておいて、また更に情状酌量を乞うのかと。

 

僕は、最近まで弁護士さんを誤解してまして、被告の主張を法廷で正しく伝える代弁者だと思っていました。

 

でも、最近感じたのは「この人たちもお金の為には何でもするんだな」と。

 

もちろん、全員が全員ではありません。(と言わないといけない時代)

 

しかし今回の様な事件で、無罪の主張って余りにも遺族感情を逆なでしてる様にしか思えません。

 

子を持つ人間にしか、親の気持ちは分かりません。

 

そうは言っても、僕にもどの位の量刑や実刑が正しいのかなんて分かりません。

親心としては「できるだけ思い刑」を望むでしょうが、それは親としての感情であり、被告に何を求めるかによっても変わってくると思います。

 

双方にとって適切な量刑が言い渡されることを切に願います。