平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

”大人の定義” って何なんでしょうね

前回の更新から随分と時間が空いてしまいました。

 

理由はシンプルにネタが無かった事と、ネタを見つけても書くのが面倒だった事です。

 

今日は久しぶりに時間もあるし、週末にスポーツして気分もリフレッシュできたので更新しようと思います。

 

 

世間が言うところの大人って?

 

さて、ここ最近は特に、『大人ってなんなん?』という質問を僕から投げかける事が頻繁にありました。

 

それは、利用者さんも含めた僕の周辺の人たちが、

『大人として』とか

『大人げなかった』とか

”大人” というキーワードを頻繁に持ち出して、悩む傾向にあったからです。

 

何故、その人たちは ”大人” になる事にこだわっているのでしょうか?

 

そもそも、”大人” ってどんな人を指すのでしょうか?

 

20歳を超えて成人した人?

 

身長が伸びなくなった人?

 

学問に優れ、常識を備えた人?

 

心身ともに成熟した人?

 

感情をコントロールできる人?

 

至極真っ当な事をいう人?

 

自分で経済力を身に着けて自立してる人?

 

 

僕には分かりません。

 

だって、どれも基準が曖昧だし、根拠が無いと思うんです。

 

 

”保護者” という ”大人”

 

先日、四男坊の小学校入学式に参加してきました。

 

スーツや着物で着飾った ”保護者” の面々の中に、僕一人だけ仕事着という服装で参加しましたが、その時に何か違和感を感じました。

 

それは、”自分が仕事着である” 事では無く、着飾っている ”保護者” にです。

 

その時の僕は、 ”保護者として” という目に見えない縛りを感じたのです。

 

もちろん、TPOをわきまえる必要はあると思ってはいます。

 整理しておきたいTPOの意味合い

近年、ビジネスシーンでよく使われる“TPO”という言葉の意味合いについてご存知でしょうか?「TPOを考えたファッション」などと使われておりますが、その意味をくわしく説明できない方いるはずです。まずはTPOの基本的な意味について説明します。

【TPOの頭文字の意味】

  • T:time…時間
  • P:place…場所
  • O:occasion…場合(opportunity…機会)

 

上記の通り、TPOとは「時間と場所、場合(機会)に合わせる」という和製英語です。

www.humantrust.co.jp

 

このTPOというのも、ちゃんと使いこなせていないとビジネスシーンでも自分が恥ずかしい思いをしますし、相手に迷惑をかけることもあります。(ここで言う恥ずかしい思いとは、自分の同行者や相手に迷惑を掛けた事に返ります)

でも、入学式では仕事着で行っても、恥ずかしい思いもしなければ、誰かに迷惑をかける訳でもありません。

 

でも、僕を除く全ての保護者はスーツか着物を着用していました。

 

そんな周囲を見渡して感じた事は、『自分って大人になっていない(常識が欠如している)と見られたのかな?』という事です。

 

でも、その上で改めて感じた事が『世間でいう ”大人” になっていなくても、子供は育てられるし、お金も稼げるんだな』と。

 

”大人にならなきゃ子育てなんてできないよ”

 

”子供が子供を育てているようなもんだ”

 

”ちゃんとした大人になって、自立していかないと”

 

っていう呪いに縛られてるのかなーと。

 

今まではスーツを着る仕事もしていたので、上の子二人の入学式では特に感じていませんでしたが、仕事着になった三男坊の入学式から感じていた違和感は、どうやらこれでした。

 

 

40代に突入して思う事

確かに、10歳の頃とは比べ物にならない程の経験を積んでいますし、30歳の頃の自分より今の方が経済的にもゆとりがあります。

 

でも、それって ”=(イコール)大人になった” とは違う気がするんですよね。

 

逆コナンとでも言いましょうか。

 

身体は大人! 心は子供!

 

という感じです。

 

頭脳に関しては才能(伸ばす努力をすればどれだけでも伸びる)と思っているので、大人も子供も無いと思います。

 

”大人としてどうなんだ?” とか

 

”大人なんだからちゃんとしなきゃ” とか、

 

そういう有りもしない概念を有ると思いこみ、縛られるのは嫌だなーと。

 

僕は ”常識” って言葉が嫌いなんですけど、それには理由があって、それはそもそも『何が何だか得たいが知れないものだから』です。

 

”大人” ”常識” というワードに囚われると、何だか生きづらく感じてしまいます。

 

 

僕が目標にしている生き方は、

①他人の不幸の上に自分の幸福を築かない

②人様のお役に立つ事で自分の生活が成り立つ

③子供にもそれを伝える

です。

 

他人に嫌な思いをさせない、傷つけない様に心掛け、周囲の人の手を借りながらも自分から手を差し伸べ、人類にとって役に立つ事で生計を立てる。 

それができる人が、世間でいう所の ”大人” に当たるのではと思っています。

子供が居る人は、子供にもその事を伝える事が大切ですし、居ない人は自分がそうある事と、人にも勧める事が大切だと思います。

 

現代って、無駄に崇高な人間を求めたり、悪と表裏一体の正義を振りかざしたり、刹那的な幸福を求めたりしている気がしてなりません。

 

『完璧な人間なんて居ない』って口では言ってるけど、実は求めてるみたいな矛盾。

 

こういうのって、やっぱり教育から変わっていかなきゃいけないんだなーって思います。

 

 

”常識が無い” と叩かれるママタレ芸能人はどうなの?

 

芸能人のニュースを見ていると、ママタレさんが叩かれてる記事を見ますが、個人的な感想としては叩く方も叩かれる側もどっちもどっちという感じがしています。

 

 例えば、ある女性タレントさんが子供の顔つき写真をSNSでアップしたとします。

フォロワーからの反応の中には「子供が可愛い」や、「ちゃんとママやってますね」などの好意的なコメントが寄せられる事になります。

 

しかし、その時間帯が深夜だった場合はどうでしょう。

「こんな時間まで子供を連れ回すとか非常識」や、「子供の顔をSNSに上げちゃだめでしょ」という様なアンチコメントや注意コメントが寄せられる事になります。

 

これは、大人とされてる人間に対する、親としての管理責任や教育上の責任を問う為のコメントでしょうが、投稿した本人に悪気が無いケースが殆どです。

 

では、ここで考えなければいけない論点とは何かを、僕なりに考えてみます。

 

批判的なコメントを要約すると、

①子供を深夜まで連れ回すのは非常識

②子供の顔をSNSに晒すのはNG

です。

 

そもそも、こんな投稿をしなければ良い話ですが、やっちゃう人からすれば何が悪いのかが分かっていないので投稿しちゃうんですが、先述した三つの項目に当てはめてみると、本質が見えてくるのではないでしょうか?

 

①他人の不幸の上に自分の幸福を築かない

②人様のお役に立つ事で自分の生活が成り立つ

③子供にもそれを伝える

 

①に関してですが、お店が子供の入店を禁止していなければ良いのかも分かりませんが、子供が成長する睡眠時間が削られているという視点と、そのSNSを見た人が不快な思いをしているという視点からすれば、先ずは投稿を控えるべきでしょうし、子供の事を考えるなら早めの帰宅をするべきです。

②に関しては、お金を使う事でお店の人には喜ばれていますし、それをSNSに上げる事で自分も収入に繋がっているのであれば、一見すると満たしている気もしますが、そういう事ではないんです。

自分の ”仕事” が誰かの役に立っている事が重要で、批判の対象となる投稿に店が使われたとなれば、役に立つどころか「お店も注意しろよ」と矛先が変わる可能性すらありますよね。

 

そして③です。

僕は、子供に尊敬して貰える稼ぎ方をしたいと考えています。

そして、もし息子たちが結婚し、子供を持つ事になれば、同じように自分の子供に示して貰いたいと。

 

僕が子供の顔を全面的にSNSに出さないのには理由があって、それは、息子が将来的にSNSを嫌って利用しない可能性があるからです。

自分の意思で ”利用しない” という判断をした時に、既に自分の顔が出回っているってどんな気持ちになるでしょうか?

 

確かに、自分の子供ではありますが、いずれは自分で判断して生きて行かなければなりません。

その時に、親が昔やったことが残っていては、申し訳ないと。

 

いずれにせよ、大人って定義はとても難しいと思います。

 

ただ、自分でしっかり生きていけるかどうか。

 

息子たちにも、その力だけは養える様に、今はしっかり育てたいと思います。