人は環境によって成長もしますし、衰退もします。
また、人との縁によっても幸不幸が左右されたりもします。
恐らく、兵庫県知事も政治家を志した頃は、もう少し崇高な思いがあったのだと信じたですが、これも環境のせいなのでしょうかね。
地位・名誉・権力・お金、、、。
欲しがれば切りがないものばかりですが、それを与えてるのはあくまで県民です。
その与えて貰ってる立場でセンチュリーはダメだと思います。
『価格ばかりが強調された』
って、そりゃそうでしょ(笑) むしろ、県民が怒る理由はそれなんだから(笑)
ここの感覚が完全にズレてるんですよねーーー。
まだまだ元気そうだし、一回知事やめて、生涯勉強ってことで民間で働いた方が良いと思いますよ。
日本学術会議の件もそうですが、何故に納得いく説明ができない事をするのでしょうか?
もう少し、その結論に至るまでの過程も含めて思案すれば分かる事だと思いますが。。
これだけ苦しむ国民が増えてる以上、本当の意味での政治家が求められている気がします。
子供の頃、社会科の授業で参政権を行使する事の重要性を習いましたが、その時は『とにかく選挙権という権利を行使する事は、国民としての義務』という風に習いましたが、誰に期待して良いかが分からないというのが本音では無いでしょうか。
『投票率が下がった』
『若者が選挙に行かない』
そりゃそうでしょう。
別に、選挙に行くことが面倒くさい訳でもないし、政治の事が良く分からない訳でも無くて、信用できる人が居ないという事に気付いて貰いたいですよね。
菅政権発足直後から衆議院の解散総選挙が話題ですが、なんかこの二院制も含めて有名無実化してる気がしてます。
いずれにしても、『センチュリーじゃなきゃダメ』の説明がしっかりできて、少なくとも県民の過半数が納得できない事にはお金を使っちゃダメですよね。
これは会社経営でも言える事なので、改めて ”お金” について考えたいと思います。