共産党都議会議員の池川友一センセイがTwitterに投稿した動画が話題になっているとのこと。
題名を客観的に見ると、
『ツーブロックを禁止する意味ある?その理由は?』という問いかけだと思いますが、議論の内容を読み進めていくとどんどん論点がズレていく事に気付きます。
記事からセンセイの主張を読んでみる
センセイは東京都予算特別委員会の質疑の中で
「校則を決めるときに、生徒の声がほぼ聞かれていない。それが、一番の課題です」
「文科省は最終的に校則を決めるのは校長の権限であるとしています。ですが、会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません」
という見解を示され、
「事件や事故に遭うのを防ぐためという理由は、意味不明です。髪型が理由で事件・事故に遭うことなどあるのでしょうか? これは完全なミスリード、根拠のない校則だと思います」
とバッサリ。
最後には
「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくものだと伝えること」
とも語り、
「これを機に、校則は変えていけると知っていただきたい。今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います」
と、このように締めくくられたと報じられています。
センセイのご発言を読んでの僕の意見を言ってみる
セ 「校則を決めるときに、生徒の声がほぼ聞かれていない。それが、一番の課題です。会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません」
について、先ず思ったことが、こちらのセンセイは組織運営をされた事が無いのだと思いました。
というのも、校則に関してはそもそも、その学校が設立された何十年も前に作られたものであり、年に一回の生徒総会でも校則の変更についてはその都度協議審議されるもので、数年に一度交代する校長が押し付けてるというのは、極論ではないかと。。。
僕も中学生の頃、スポーツズボン(制服のスラックスで、全体的に余裕のある作りになっているもの)を認めて欲しいと議案提出し可決され、翌年からOKになったという経験を持っています。
そして、センセイは『会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。』
と言っていますが、僕も意見を聞く事はとても重要だと思います。
でも、最後に決めるのは社長であると、突然社会の話を持ち出していますが、学校では生徒による多数決で決めるのでそもそも意味が違うと。
セ「事件や事故に遭うのを防ぐためという理由は、意味不明です。髪型が理由で事件・事故に遭うことなどあるのでしょうか? これは完全なミスリード、根拠のない校則だと思います」
確かに、髪型が理由で事件・事故に直結というのは考えにくい様にも思いますが、人は見た目が9割とも言います。
議論の的になっているツーブロックが相手に与える印象が良いか悪いかどうか個人の好みの問題なので議論から外しますが、例えば茶髪にしている中学生を見ると、今の日本では『家庭が荒れてるな』と思われる可能性もあります。
それが女子生徒だった場合、悪意のある大人はお金で生徒を誘う可能性だって否定できないと思います。
もちろん、清潔感があれば防げるかと言えばそうではありませんが、『意味不明』や『完全なミスリード』と言い切るのは短絡的かと。
そして最後にセンセイは
セ『これを機に、校則は変えていけると知っていただきたい。今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います』
と締めくくられていますが、これこそ『?』でしかありません。
『校則は変えて良いんだよ』っていうメッセージを伝えたいだけなの??
『ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います』
って、結果的には何を求めてるの?って思っちゃいます。
先述したように、校則は学年総会で議案提出すれば変えていけます。
なので、わざわざセンセイが大事な予算特別委員会の場で言う事でも無いような気がします。
論点のすり替え?
校則が出来た頃はツーブロックなんてハイカラなヘアスタイルが無かった事は容易に想像できますが、それを現代では明確に禁止している事に問題があると言っている様に思えます。
『大人の世界ではツーブロックは非常にスタンダードな髪型です。清潔感のある髪型と言っても良い』
センセイは何故ここまでツーブロックを擁護するのでしょうか?
記事をよく読んでみると、どうやらセンセイはツーブロックだけを擁護している訳では無く
現場の教員はそれをとにかく守らせることに力を尽くしています。
明確な理由もないまま、とにかく従うように伝えているケースも多いのが現状です。
総合的に校則自体に根拠が無く、ただ守る事に専念してるしさせられてると。
その上で、『校則って変えられるんだよ』って訴えてありますけど、
逆に校則を変える必要性についての根拠を述べて頂きたい
というのが僕の思いです。
僕は組織運営の経験から、就業規則の変更等もなんどもやってきました。
その際、労組なんてものはありませんから労働者代表の方と中身を確認し合い、納得を得た上で労基署に再提出しています。
そんな流れから見ても、学校の校則と会社の規則を一体的に比較するのはお門違いではないかと思います。
それともう一つ、忘れがちな観点があります。それは義務教育中のピアスやヘアカラー代は誰が出すのでしょうか?という事です。
『Aちゃんがオシャレなカラーにしてるの羨ましい』
ってなりません?特にお年頃です。
『ウチにはお金が無いよー』と言われた生徒の中には、自分で稼ごうと考える生徒がいてもおかしくありません。
もちろん、僕らが中学生の頃にもいましたよ。
卒業式用の刺繍入りの長ランを買う為に新聞配達してたヤンキーが。
新聞販売店さんも関心してました。『マジで良く働く』って。
でも、これこそ本末転倒ではないでしょうか?
今はスマホがあります。新聞配達しなくてもお金は稼げます。
悪い大人だって一定数いますから。
そんなリスクが潜んでいる議論なんですよ。これは。
ツーブロックが事故や事件に繋がるとか繋がらないとか、校則は変えられるとか、そんな議論してる様にしか見えませんが、未成年者には保護者がいて、車の免許も18歳からで(バイクは16歳)、選挙権も18歳なのは判断能力が未成熟である事が前提だからではないのでしょうか?
正しい方向性に進むのであれば、ルールの変更は大いに歓迎です。
しかし、その判断が正しいかどうかを子供に委ねる場合、最後に責任を取るのは一体誰なのでしょうか?
責任の所在が不明なのに、
『ルールって変えられるんだから、声上げて行こうよ!!』
って余りにも無責任かと。
作った側は、その責任があるから守らせようとします。
であれば、変えたその先の責任の所在も議論するべきだと思います。