平凡が一番難しい

小さな会社を経営していて感じることを、ぼそぼそと書いています。

敵は内部にあり!

『花粉と黄砂が飛散して、悲惨だーーー!!』

 

ということでね、

朝、喜ばしいニュースがありました。

それは、サッカーJリーグにプレミアを創設する案が浮上しているとのこと。

news.yahoo.co.jp

『いつの間にー』って感じですが、Jリーグも発足から30年近くなるそうで、その間も様々なてこ入れはされていましたが、個人的な感想としては ”頭打ち感” は否めませんでした。

 

プロリーグが発足した事で、間違いなく日本サッカーのレベルは向上していると思いますし、今のようなしっかりとした組織が有れば、子供の頃から親しむ事ができ、目指せる ”上” があるっていうのは、海外も含めて良い事ですよね。

 

でも、やっぱり外国人枠が付きまとう中での限界も感じていました。

 

今回のプレミア案は、その外国人枠の撤廃が主な違いになると思いますが、その事により有名選手の獲得が容易となり、スポンサー料は放映権料など、様々な恩恵が出てくると思います。

その中でも最大の恩恵が、選手のレベル向上ではないでしょうか?

 

本気で世界と戦える国にするのであれば、絶対に避けては通れないのが外国人枠の撤廃だと思います。

 

一刻も早く、実現して貰いたいものです。

 

 

さて本題ですが、戦国武将が戦乱の世を生き抜く為に、常に考えてきた事が ”戦略” と ”戦術” です。

https://www.profuture.co.jp/mk/column/9021

 

”戦う” というと、『如何にして敵陣に攻め入るか』を考えがちですが、実は、最も効果が高いとされる戦略が『内部紛争を起させる』ことです。 この戦略は完遂までに時間は掛かりますが、上手くいけば効果はてき面です。

 

先ずは、相手の内部に入り込んだり書簡を送ったりと、誰かしらと接点を持つ必要があります。

この時のやり方としては、そこそこの権力者に擦り寄る場合もあれば、最も地位の低い相手から進める場合もあります。

 

もし僕がこの作戦をするのであれば、人数の観点から地位が低い人にアプローチします。

そして、

『おい、上の人間には絶対言うなよ。  あのな、〇〇って奴が、隣の国の軍勢の奴と夜中にこっそり会ってたらしいぞ。』

と言った具合に、噂を立てます。

 

すると、”上の人間には言うな” というキーワードを聞いた人間は、聞いた話に尾ひれはひれを付けて、他の同僚に『おい、上の人間には絶対言うなよ。』と話します。

そうするウチに、〇〇の事を ”気に食わない” と思っている人間の耳に入る事で、『やっぱりな。前も確かそんな事があったんだよ』となります。

 

そして、並行して〇〇にも、噂話を吹き込むのです。

 

そうやっていくつかの噂を広める事で、仲間同士であるにも関わらず、お互いに疑心暗鬼を生じてしまい、『一体、誰を信じれば良いんだ』という状況になります。

 

こうなると、もう上の人間では収拾が付きません。

 

『明日の夜、隣国が攻めてくる』という噂を立てられ、慌てて準備をしますが、相手は一向に攻めてくる気配がありません。

 

そんな事を何度か繰り返す内に、『嘘の情報を流す奴は誰だ』となり、内部通報者を配置し始めたらもう終わりです。

 

 

こういう事って、身近にありますよね?

 

『あの人から聞いたんだけど』

とか、

『誰だれが、こんな事言ってるらしい』

とか。

 

確かでは無い情報が出始めたら、その組織はやばいと思って間違い無いと思います。

 

噂は噂で一蹴するか、真偽をしっかりと確認する。

 

これをリーダーがやらなければ、同じ過ちを繰り返してしまいます。

 

間違っても、リーダーが ”噂” を鵜呑みにしてはいけませんよね。

 

 

 

問題って、本質を考える必要があると思います。

プラゴミ削減を目的としたレジ袋(ビニール製)の有料化に続き、プラスチック製のフォークやスプーンも対象となりそうです。

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この件に関して言えば、『海洋プラゴミの根本的な問題は、ビニール袋ではない』という専門家もいます。

 

確かに、僕もクジラの胃袋からビニール袋が出てきたというニュースを見た事がありますし、そのまま放置していても自然には還らない事は理解しています。

 

でも、海を見てもゴミの大半はペットボトルや家庭ごみが大半です。

なのに、何故ビニール袋やプラスチック製のスプーンが対象になるのでしょうか?

 

 

話は変わりますが、最近では著名人の ”聖火ランナー辞退” が相次いでいるというニュースや

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報道ステーションの『ジェンダー平等』というキーワードを扱ったCM動画

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が物議を醸しています。

 

さてさて、プラゴミ問題や著名人のランナー辞退などの問題の本質はどこにあるのかと、僕は僕なりに考えてしまいます。

 

というのも、聖火ランナー問題に関して言えば、昨日のニュースで黒木瞳さんが辞退した理由が紹介されていましたが、その内容が『私が走る事で、沿道に人が集まる事があると密になるから』というものでした。

 

確かにですよね。

 

という事は、聖火ランナーが走る沿道にはバミリをして、観客が立つ場所が指定されていて密にならなければ走るとでも?

 

 

この様に、自分の気持ちを明確に発信されていて、恐らく本心だとは思いますが、もしかするとこの発言の基には、『皆が辞退している中で、自分も走りにくい』という、日本人にありがちな ”同調の雰囲気” が根幹にあるのでは?と考えてしまいます。

 

実のところの問題の本質は、

『日本人は周囲と違う行動や発言をする事に ”異質” や ”異端” といったレッテルを貼りたがる傾向にあるので、自分も非難を受けている人と同様に扱われるのを嫌って辞退を検討し始めた。』

 

とうのがあるのかも知れませんよね。

 

であるならば、発言と行動の本質は『密を避ける』事では無く、『非難を受けない為』になりますよね。

 

家庭不和やいじめ、会社での不満なども含めて、問題がある場合にはその本質を考える必要がありますが、ついつい『旦那が家事を手伝ってくれないのが問題だ』とか、『いじめはダメ。だから謝れ。』とか、本質を突かない所での議論が始まる様な気がします。

 

少し話題は変わりますが、ラジオを聞いていると、とある遊戯施設のCMナレーションで『感染症予防対策を十分に行っています!!』という内容を耳にしますが、これって誰に対して伝えたいのでしょうか?

 

僕には、その遊戯施設にはいかない人、延いては否定的な人に対してだと感じてなりません。

 

何故かと言うと、感染症が拡大しているさなか、遊戯施設が都道府県や市町村の要請に従わずに営業している事がニュースになったからです。 要するに、感染症が拡大しているさなかでも行く人は行きます。

中には、『地元の遊戯施設が閉まってるから』という事を理由に、県をまたいだ ”遠征” をする人だっていたくらいです。

 

という事は、それでも遊戯施設に行く人にとっては『感染症予防対策云々』はどうでも良い事なので、遊戯施設を利用しない人からの批判を避ける事が狙いではないかと。

建前『感染予防してるので、安心して遊びに来てください!』

本音『施設を利用しない人が色々言うなよ』

(ここではあくまで本音と建前の例として遊戯施設を上げていますので、特定の施設を否定している訳ではありません)

 

 

それと、コンビニのトイレなどに設置されているエアータオルが、『感染症拡大防止の観点から』という名目で、『使用を禁止しています』となっている件。

 

確かに、水分を吹き飛ばす程の風力を当てれば飛沫が飛び散る事は容易に想像できますよね。 何だか説得力があります。

 

でも、『そもそも、洗った後の綺麗な手では?』という疑問と、『何故、エアータオルの代わりにペーパータオルを設置しないの?』という疑問が湧きます。

 

手が濡れたままになれば、雑菌が繁殖しますよね?

 

そして、飛沫の拡散という事でマスクは浸透しましたが、マイタオルは推奨もされずに浸透していません。

という事は、『本気で予防に取り組む』というのであれば、マイタオルを忘れた人の為にもペーパータオルを設置するべきだと思いますが、何故設置をしないのでしょうか?

 

建前『感染症拡大の為、エアータオルの使用を中止しています!』

本音『そこに経費を掛けたくない』

 

 

 

この様に、日本には ”建前” という文化が根付いており、黒木瞳さんの『密を避ける』発言も建前と捉える事もできますよね。

 

 

”なぜ、わざわざそんな事を言うのか”

”この人の発言の真意は何なのか”

”この人は、何と比較してその考えに及んでいるのか”

 

建前がある以上、その本質を考える癖って必要なのかも知れませんね。

 

 

子供のお小遣い

ウチの家庭でも、子供にはお小遣い制にしています。

 

彼らが現金を得る手段は、学校のテストで満点を取るか、家事を手伝った時のみ。

 

100点満点のテストであれば、100円。150点満点のテストであれば150円ですが、満点を逃すと小遣いは支給されません。

 

風呂掃除は50円、食器洗いは100円といったように、それぞれにも設定されています。

 

そのお小遣いの使い道は、ゲーム課金や駄菓子屋でのお菓子の購入の他、サッカーのスパイクは半額支出など、ルールを細かく設定。必要な物は買い与えますが、本人のがどうしても欲しいといったプラスαの物は、基本的に本人の財布からの支出です。

 

ノートや鉛筆などは基本的に親が購入しますが、消しゴムを意図的に割ったり、鉛筆を噛んでボロボロにしてる場合などには全額自己負担で再購入させています。

 

ゲームやお菓子への支出に関しては、回数や一回当たりの購入金額の上限を設けていて、お友達がお小遣いを持ってきていない場合は ”みんなで飲み食いできるもの” としています。

 

半年で5,000円以上の収入を得ていると思われる彼らの財布には、常に2,000円以上は入っていますが、決して無駄遣いはしていない様です。

 

このやり方が正しいかどうかは分かりませんが、ルールが細かくなるのが親としては結構大変です。

 

子供のお小遣い問題。

 

まだまだ改善の余地はありそうです。

PayPayが面倒くさい。。

弊社で進むキャッシュレス決済化ですが、加盟店にとっては不便な一面もあるようです。。

 

 

弊社が最初に導入したキャッシュレス決済は、今は無き『ORIGAMI PAY』。

 

実は、率先して導入した訳では無く、SICのメインバンクがORIGAMI PAYと提携関係にあった為、渉外担当者さんのノルマにお付き合いする形で始まりました。

 

口座情報も勿論のこと、SICの基本的な情報はメインバンクが持っているので、申し込み用紙に記入捺印するだけで、数日後にはスタートキットが送付されてきました。

 

ただ、世の中のキャッシュレス決済ブームの裏で、現金決済を希望されるお客様が大半を占めていた事と、他社に比べるとORIGAMI PAYの認知度に比例した利用者の少なさから、そのキットを開く事はありませんでした。

 

すると、半年もしない頃にニュースでORIGAMI PAYが『メルペイ』に吸収される事を知りました。

僕としては、CMも沢山放映されていたメルペイに ”乗り換え” できるチャンスという事で、大歓迎です。

しかも、ORIGAMI PAYがちゃんと引き継いでくれているので、新たに届くメルペイのスタートキットを登録するだけで難なく利用開始ができました。

 

 

そんなこんなでキャッシュレス決済が導入され、お客様からも概ね好評。

味をしめた頃、僕は他社のキャッシュレス決済が気になり始めていました。

 

すると、外で車を入れ替える為に移動をしていた所、怪しげな営業マンがこちらに向かってくるではありませんか。

 

(なんか、うだつが上がらない感じだな。。)と思いつつ、差し出された名刺を見るとそこにはなんと、PayPayの文字が。

 

僕は、導入をその場で決定し、『もう一軒用事がある』という営業マンをその場は一旦リリース。

約束の1時間を過ぎて再訪するあたり、やはり、うだつが上がらんなと。

 

僕の予定が1時間を切っていた事もあり、手続きを早めに進めて貰う事にしましたが、それでも時間内には手続きが終わらなかった為、僕は詫びを入れて外出する事にしたのです。

 

 

すると、『もうすぐ終わりますから』と言っていたうだつの上がらない営業マンが、外出から2時間を過ぎて戻った今でも、会社にいるではありませんか。

 

『まだ居たの?』という言葉が口を突きそうになりましたが、

『今、やっと登録が終わりましたので、そろそろ失礼します』と。

 

スタートキットが後日送られてくる旨を伝えられた僕は、

『そんなの知ってるよ!もう他にも導入済みなんだから!!』と言わんばかりに了承しました。

 

 

後日、無事に届いたスタートキット。

 

 

のはずでしたが、何故か同じようなパックが9つも。。。

 

 

『え?これ、何が違うの?』 『なんの為のスタートキット?』

 

 

と、軽く混乱。

 

一つを開封し、セットアップマニュアルを見ながらネットでアカウント登録を済ませた所で驚きです。

 

何と、マイストアがメインを除いて8つも作られているではありませんか!!

その名も

①SIC(合同)

②未設定

③まごころ洗車隊2

④店舗3

⑤まごころ洗車隊4

⑥店舗2

⑦SIC合同会社 石垣

⑧まごころ洗車隊1

⑨販売1

 

販売1? 店舗2? 店舗3? しかも未設定まであれば、順番もバラバラ。。

 

全く意味が分かりません。

 

 

ここで僕は仮説を立てました。

 

『もし、アカウント数によってインセンティブが発生する仕組みになっているのであれば、あのうだつの上がらない営業マンはウチでアカウント数を稼いだのでは?』

 

というもの。

 

しかも、時間を掛けた割りには登録内容がいくつも間違っていたらしく、後日になってサポートセンターから『登録内容に間違いがあるので振込できない』との電話まで入る始末。。。

 

もう、決済が始まってる事もあり、僕は指示に従って変更申請を行いました。

 

もうすでに、この時点で僕の心の中では『めんどくせぇ。。』という気持ちが芽生えています。

 

 

なのに、、

 

また後日になって、別のルートから電話が入ります。

 

その内容が『他のアカウントの銀行登録がお済でありませんが。』と。

 

僕は『いやいや、アカウント一個で良いんだけど』と伝えると、今度は

『登録がお済で無いと、その旨をお伝えするお電話が入るかと、、』と。

 

僕は更に『いやいや!勝手に作られたアカウントの登録に無駄な時間を割きたくないので削除してよ!!』と伝えると、『では、アカウント削除のURLをメールで送りますので、お手続きを進めて頂いて宜しいでしょうか?』と。

 

口座の登録変更など、マイストアの修正だけでもかなりの時間を費やしていて、正直ウンザリしているにもかかわらず、『今から8個のアカウント削除を一個一個やれと?』と聞くと、『そ、そうなりますね。。』って。。

 

そうなりますねじゃねーよ!!(笑)

 

こっちは、望んでもいないアカウントを8個も勝手に作られた挙句、登録情報もでたらめだった為に修正で時間を取られ、挙句の果てには余分なアカウントの削除までこちらでやれと。

 

 

どこれもこれもうだつの上がらない営業マンの仕業でしょうが、もしアカウントの数でインセンティブを渡しているとすれば、そのやり方は絶対に間違っていますし、即刻止めるべきだと思います。

 

これって、かんぽ生命のそれと酷似している様に思えてなりません。

 

だって、結果としてお客本位ではなく、営業マン本位の営業活動になるんですから。

 

もちろん、お客様の利便性が最優先ですから、PayPayを止める事はありません。

 

でも、事業者側も、自分たちが現代社会の中ではそれなりのインフラとなっている事を自覚して貰いたいと思います。

 

大手にあぐらをかく事なく、顧客本位でやってもらいたいものです。

 

何か良い感じ。

衝撃のニュースが飛び込んできました。。

 

統合失調症生活保護も受給している利用者さんの一人が、なんと、ウォーターサーバーの契約を結んでいる事が職員の訪問で判明したのです。

 

月額にして約4,000円。 5年契約の縛りがあるそうで、総額で約240,000円の契約になっていたのです。

 

彼が住んでいるのは市内の市営住宅

 

送迎で行く限り、高齢者が非常に多く見受けられる地域であり、ウォーターサーバーの営業に関しては悪意を禁じ得ません。

 

彼には成年後見制度

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の活用も含めて、どう守っていくのかの検討が必要です。

 

彼は、最近もネット契約を結んでおり、欲しい物を手に入れたい欲求が、我慢できない傾向にあります。

 

本当に必要な物であれば、QOL向上や人権などの倫理的観点からも、無理に解約を勧める事はできません。

 

しかし、彼の希望である引っ越しの実現や、支援計画に基づいた支援を前提とするのであれば、金銭管理を強化する必要があります。

 

その点に関しても本人とじっくりと話し、『君は今、この目標に向かって毎月〇〇円貯めないといけないよね?』 『何で今、ネットやウォーターサーバーを契約する必要があるの?』といった具合に、丁寧に聞き出す必要があります。

 

本来、就労継続支援という立場で、ここまで首を突っ込む事は越権行為にもなりますが、ほぼ毎日顔を合わせている以上、誰よりも彼の事を知っているので、相談員さんとの情報共有もしっかりとやりつつ、日々できることはこちらでやるしかないというのが現状です。

 

毎日毎日、何かしら良い話題もそうでない話題もありますが、一喜一憂せずにやっていくしかないなーと感じています。

 

 

さてさて本題ですが、今年に入ってから一月中旬ごろまでは何とか忙しく走り回っていましたが、2月が近づくに連れて目に見える形でどんどん作業が減っていき、3月に入っても客足は回復せず。 また天気も悪かった事から、洗車の予約も後ろに下がった事で ”手持ち無沙汰” になる日もちらほら。

 

『なーんか景気が悪いなー』という感じで、気持ちまでもが暗澹(あんたん)たる雰囲気になっていました。

 

ブログの内容も、

 

sic.hatenablog.com

 暗い内容かつ、自分を鼓舞する内容を書かずにはおられず、次の手を打ちつつもただただ耐え抜いたという感じです。

 

『ここさえ耐えてしまえば。』

 

という気持ちを持ち続け、”冬は必ず春となる” と言い聞かせてきました。

 

そうこうしている内に、やっとのことですが、最近になって活気が戻ってきました。

 

少しずつ作業は増え、洗車も戻りつつあり、皆でワイワイとできる時間が増えたという実感があります。

 

良い時があれば、そうでない時も必ずあります。

 

ただただ下を向くのではなく、『小銭でも落ちて無いかなー』くらいの気持ちで、それすら楽しめる様になりたいものですね。

先に要件を言って欲しい。。

皆さん、SNSとかされてる方が多いと思うのですが、Facebookってされてます?

 

若い方への意識調査などの結果では、Facebookはビジネス利用が目的の方が多く、若い方でビジネス以外の目的ではLINEかInstagramを利用しているそうです。

 

最近では、グループラインができすぎて、ピヨピヨと着信音が鳴るのが億劫に感じるのは世代のせいでしょうか。

 

 

僕もFacebookを利用し始めて8年近くになると思うのですが、利用目的は誰かの投稿に対して『いいね!』をする事で、自分から投稿する事は殆どありません。 

 

そんな僕にも使用上のルールを自分なりに決めていて

①リアルで会った事がある人しか、基本的に友達申請はOKしない

②リアルで会った事のない方からの申請には、必ずメッセージを要求する

③自分の誕生日は公開しない

④知り合いのお店の情報などは積極的にシェアする

 

と言った具合です。

 

自分の誕生日を公開しない理由は、僕の誕生がGW(ゴールデンウイーク)初日である事が理由です。

面倒な事に、『今日は〇〇さんの誕生日です!!』というお知らせが来ますよね。

GW初日に、”誕生日おめでとうメッセージ” を送らせる事に、強い罪悪感を感じますし、『返信しなきゃ!!』という気持ちになるのも億劫です。

なので、誕生日は非公開にしています。

 

そして、リアルで会った事も無いのに、メッセージも添えずに申請してくるのは論外です。

僕の性格上、『すぎちゃん、〇月〇日って空いてる?』と、先にその日が空いてるかどうかを聞かれるのが苦手です。

理由としては、

『要件も分からず、承諾したくない(極力家族と過ごしたい)』という思いがあります。

 

Facebookの友達申請一つにしても、『何で僕と友達になりたいのか?』という動機が明確で無い申請には応える必要を感じませんし、極力家族と過ごしたい僕は、重要度に応じて引き受ける事にしています。

 

 

営業の電話だってそうです。

従業員さんが、相手からの要件も聞かずに僕に取り次ごうとした場合、基本的に電話は代わらない様にしています。

 

それをする為にも、『要件を聞いて』を徹底しています。

 

ウチは今、広告宣伝やシステム導入は一切検討していません。

 

お金が稼げる話や、経費削減できる話ならともかく、何かを導入する事で便利になったり効率が上がるという手の話には全く興味が無いからです。

 

 

この様に、僕のニーズは常に明確です。

 

なので、そのニーズにマッチする内容以外に時間を掛けたくないというのが、僕の気持ちです。

 

これは、サラリーマンだったら難しいかと思います。

 

でも、少しでも自分の気持ちに正直に生きるために、省けるものは極力省くって、大事な事なのかも知れませんね。

家族を亡くした親友の胸の内は、『正直、ほっとした。。』

『命の重さは地球より重い。』

『人の命は、皆平等。』

 

これは、僕が小学生の頃から道徳などの授業で教えられてきた事ですが、当時の僕は重さを地球と比べる事で逆にイメージが出来なかったり、『皆平等』と言われても、戦争や紛争がある地域とそうでない地域によっては『そうとも限らない』という思いがあり、本当の意味での平等を理解するのに苦悩しました。

 

今でこそ、自分自身も家庭を持ち、息子たちも含めた家族を形成した事で、その命の大切さを強く実感する事ができました。

 

 

僕は、幸せの裏に必ず潜む ”失望” に、日々恐れているのも事実です。

 

会社が軌道に乗れば乗る程、失う怖さとリスクへの恐怖は増すばかりで、子供への愛情が深まれば深まる程、『今日も絶対無事故であって欲しい』と願うばかりです。

 

 

 

家族を失う事。それは全て『不幸なこと』だと思っていました。

 

 

 

しかし、ここ最近の経験を通して、それが全て ”不幸とは言い切れない” とも思う様になってきている自分がいます。

 

 

 

昨日、親友の弟が亡くなっていた事を知りました。

 

彼は、統合失調症高次脳機能障害を発症していて、家庭内での暴力のみならず、近隣住民への暴言などもエスカレートしていました。

 

70歳を目前にした両親は悩み、彼に福祉住宅への入居を勧めますが、彼は受け入れなかったと言います。

そこで、近隣の賃貸マンションを親の名義で契約し、一人暮らしをしていたところ、肥満体質が引き金となり脳梗塞で亡くなっていたそうで、死後数日経っていたらしく、連絡が取れない事を不審に思った両親が警察に通報した事で発覚しました。

 

彼には重篤な障害があり、暴力的で彼の将来を悲観していたとは言え、いわゆる ”普通の考え方” や学校で習った ”道徳心” から言えば、立ち直るのが難しいほど、悲しみ明け暮れるのが ”常識” なのかも知れません。

 

しかし、僕の親友が言葉を選びつつ、また詰まりながら発した言葉は

『正直、ほっとした。。』

というものです。

 

 

僕は、彼が勇気を持って発してくれた言葉に、強い理解を示しました。

 

 

それは、少し前に小児がんで我が子を亡くしたお母さんの話を聞いていたからです。

 

そのお母さんは、『闘病しているのは、子供だけじゃない事を知って貰いたい』と、同じ事で悩むお母さんをサポートする活動をされていますが、そのお母さんも、息子さんを亡くされた時の本音は『ほっとした。』という感情でした。

 

勿論の事ですが、悲しくない、寂しくない訳は絶対にありません。

 

最愛の息子であった事に疑いの余地は無く、他の兄弟と同じように愛情を注いでいた事、もしかすると、他の兄弟以上に愛情を注ぐ事もあったかも知れません。

 

 

しかし、『ほっとした。』という感情を、僕は理解できます。

 

 

生きていて欲しい。 生き続けて欲しい。

 

その感情が絶対的に存在するからこそ、生れた感情だとも思います。

 

 

矛盾しているとも捉えられかねませんし、『酷い奴』と言われるかもしれません。

 

でも、僕には強く理解できます。

 

家族を失った人の気持ちを、本当の意味で理解することはできないでしょう。

 

そして、『僕が理解できる』と言っても、その理解は当事者未満である事も事実です。

 

生きている以上、生死に関わる苦悩は切っても切り離す事ができません。

 

親友の弟さんが残してくれたもの。

 

それを、これから先も自分に問い続けていきたいと思います。